こんにちは♩
心理セラピストの浦松ますみです。今日は「生きる意味」が見えなくなっているときに自分を支えてあげることができる内容になっています。
それなりに「どうして生きているか分からない」「人生が全く楽しくない」「生きるってどうして苦しいの?」「何がしたいか分からない」などの訴えはセッションでも多いですが、根本的にそこに何があるのかを見つめていきましょう♩
これからウン十年生きるとしたら・・・?
こんなことは常には考えないかもしれません。それより、毎朝時計のアラームで起きて、もっと寝ていたい身体を引きずって、時間に追われて朝、仕事に出る、または子供たちの支度をする・・・
今日も苦手なあの人に会うのか・・などなど。
次はこれをやらなきゃ、まだ準備ができていない、焦り・・・そんな感じで慌ただしく毎日が過ぎている方もいるでしょう。
目の前の「To Doリスト」をこなすのに精一杯の時には感じたことがないかもしれませんが、ふと気づいたときに・・・このままで良いのか?私が本当にしたいことは何?今が楽しくない感じ、取り残された感じ、損している感じ、もっとちゃんとしなきゃという焦燥感など・・・そんな感覚は持ったことがあるでしょうか?
これも一概には言えませんが、子育てなどひと段落したり、大きな人生の機転でしっかり人生を振り返りたい方など、こうした悩みを聞くこともそれなりに多いです。
自分に何を与えてあげたいの?
本当の本当は私は何が欲しいのだろう・・そう思うと、この質問にたどり着きます。
「私はこの自分に何を与えてあげたいの?」
何を欲しがっていますか?
「愛が欲しい」だったらどんな愛?誰からの愛?大きさは?それがどのぐらいの期間?私が死ぬまで?それとも・・・?
「安心が欲しい」だったら、どんな安心感?誰から?どこからの安心?どうしてそれが欲しいの?それがないと何を感じるから?それがない私はどんな私だから?
「自分はちゃんとできている感覚」だったら、どうしてそれが必要なの?それがないと何を意味するから?ちゃんとできていたら何を感じなくて済むから?それは、どこで判断するの?誰かが認めてくれたら?それとも・・・?
などなど無数に自分に質問してみましょう♩
出てきたものは「今の自分に無い」と思っているもの
私たちはほぼ「全部が満ち満ちていて、何一つ不安がない」という状態が難しい存在です。例え、一時的にそれが満たされても「いつまでこれが続くの?」「なくなったらどうなるんだろう」「保証して!」など色々な声が聞こえてきます。
もちろん、自分という存在の土台そのものが「安心からできている」「大丈夫感でできている」「助けてもらえる感覚で出来ている」場合は別ですが
自我の構造の基本は「分離感」「欠如感」などから来る否定(ダメ、足りない、繋がっていない、孤独、不安、怖い)がほぼあります。みんなにビルトインされているものですが、【強さや大きさは個人差】です。
そもそも「あなた」と「私」ですから、分離していますし、別なのですから比べて安心したり、落ち込んだり、自分バッシングが走ったり、もっと頑張らなきゃという声は自然に出てくるでしょう。
全部があるのですが「強さ」「濃さ」の違いです。
あって良いので「濃さ・強さ」を解いてあげる
私たちはそれがなんであれ「苦しい」ことは取り除く、解放してなくす方向に行きがち。そしてそれはある意味ごもっともの姿。
でも、人生は全色あるもの。
味覚は酸味・塩味・苦味・旨味・甘味の5味からできているそうですが、旨味だけ、甘さだけが欲しいと思っても全部があるから「味覚」なのです。ただ、苦味が9割とか、しょっぱさが9割とか超酸っぱい人生というのも・・・
バランスが偏っているとか、この味、好きじゃないと感じたら、濃すぎる味を薄めてあげる、または強すぎる味を和らげてあげるためには「どうしてその味がこんなに濃く・強く現れているの?」ここを探す必要があります。
何か理由があって今のバランスを創り上げているのです。人生は本当にすごい創作のドラマそのものだと感じています。
苦しいときに感謝や受け入れができなくてOK
私もそう言われて育った方ですが(前回の記事参照)何か辛い経験をすると「それは乗り越える強さがある証拠」とか「ひどいことした相手に感謝しよう」など言われて「そう思うことが正しい」「良くできた人」「大人」と思い込んでいました。
正しい、良き人になりたくて頑張っているので、全然本当は苦しいままなのに「思い込んで」大丈夫、乗り越えた私になっているときには、一時的には悩みが解消されたようで、実はより深く自分を傷つけていました。(浅い傷だと尚更、気づかず)
ほとんどの場合はこうして人生を送っているのではないでしょうか?刺激がなければ、それなりに月日は忙しく流れ、それなりに楽しんでいるようで、「そんなものだ」のなかで毎日が過ぎていくのです。
ここはどこまでできるかですが「正直な自分」を自分が見ることができるか、また逆に「この自分の気持ちを許せない」「感じたく無い」という気持ちが出てきたら、それこそが「正直な私の姿」そのものです。
役割が終わるとき・・・
もし、今、自分に何か役割があるとしましょう。それは「母親業」かもしれませんし、「経営者」かもしれません。「夫・妻」「子供」「先生」「姉・妹」「社会人」「上司・部下」「大人として」など・・・何らかの私の役割の中に属していることと思います。
いつかはそれが終わる時が来ますよね。数ヶ月の役割、年単位の役割、子育てや、長く続けてきていた職業や、通っていた学校・学びの中での役割もあったでしょう。
妻として、パートナーとして、◯◯の△△として・・・
最終的には肉体を持った「私」からの卒業、「私の役割が終わる=この世から旅立つ時」に何を感じたいでしょうか?
または「この私」に何を感じさせてあげたいと思うでしょうか?それは十分に味わいましたか?味わうことができなかったら、その理由を十分肯定したり、尊重したり、労ったりできていたら・・・
実際にする・しないの行動に目を向けがちですが「自分がどう在ったか」の視点でじっくり感じてあげましょう。
実際にその行動をしたかどうかではなく、それをしても、しなくても「自分が何を感じ、どうそれを受け取っていたか、どうしてそれを受け取るしかなかったか」などに意識をフォーカスします。自分への深い理解をそばに置いていきます。
私も・・・あなたも・・・みんな終わります。現れているものは必ず変化しています。私が十分に感じたかったもの、欲しかったものが何だったのかを、今、分かってあげることは自分への愛情です。
私という存在を十分味わい尽くし、生き切りませんか?
【長さではなく、終わり方ではなく】、誰の中にもある輝きを見つけ、自分がその輝きを理解し、守ってあげませんか?
※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています。
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