皆さまこんにちは♩
人間関係、家族などとの関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方のお悩みを聞く側に自然に変化した心理セラピストの浦松ますみです。
今日は何度も今までもお伝えしていますが、私たちが「事実」より「自分の頭の中の世界」を信じていることを、一緒に検証していきませんか?
知っている、わかっている事でも直ぐにこの頭の中の世界=私のストーリーに巻き込まれている【通常の私たち=自我の仕組み】をもっと深く理解してみましょう♩
実際に起きている事と、自分が感じている世界
ある方はお母さんの介護のために仕事を辞め、毎日短時間ですが、実家に顔を出して、いろいろな雑用や通院、また入院時の手続きやリハビリなどのサポートを一生懸命していました。
最初は「長女だし、妹は遠方だし、私は一人だし、自由だから」ということで、むしろ役割を果たしているようで嬉しさや充実感もありました。
しかし、母親は年齢と共に気難しくなったところもあり、顔を合わせると友達の愚痴、自分の健康の愚痴、妹の愚痴・・・笑顔よりもいかに自分が大変な人生を送ってきたか、あなたたちのために頑張ってきたか、これからという時に病気になり自分の人生を振り返り、ネガティブな状態が続いています。
彼女は、だんだんと母親に関わる事自体、また母親のために仕事を辞めた自分自身の決断にも疑問や将来の不安も出てきました。
お金も思ったより自分の持ち出しが多く、これからどのぐらい長生きするかも分からない母親の一生をずっとサポートできるのか・・最初こそ感謝を示してくれていた母親も「私がサポートするのは当たり前」となっていて
自分が少しでも希望通りではないと、明らかに不機嫌さを出して来ていました。
私が見ている世界とは?
病院からの変える途中に母親の寄りたいお店、私が所用で寄りたい所が方向が違う時、大抵は無駄がないような経路で計画を立てていましたが、ある時、母親が「先に私の用事を済ませて、家に一旦帰らせて欲しい。私は病人だから。その後、あなたが自分の買い物を済ませればいい。」と当然の権利のように言われたことがありました。
彼女は「あぁ、私は母親に巻き込まれて、影響を受けるのはいつも私」
過去のいろいろな場面や、小さい時から「おねえちゃんだから」ということで褒めてくれたこともありましたが、母親の目には私の気持ちより、近所の建前とか、自分が受け入れられるために意識がいつも外側を向いていて
私が母親の中にいない・・と思っていたことを思い出しました。
何かをやりながら片手間で私の話を聞くし、母親が選んだことに結局は決まってしまうし、自分の意見を言っても「それは我儘だ」と言われたことや
母親の気を引きたくて「母親がどう喜ぶか、満足するか」「母親が安心するか」を基準にずっと生きてきた自分が走馬灯のように頭の中を駆け巡ります・・
仕事を辞めた時も・・
母が「私のために仕事を辞めてくれたこと」をどのぐらい喜んでくれるかを本当に求めていた自分を思い出し、満たされない自分を不憫に感じ、涙が止まりませんでした・・と仰っていました。
どうして「母親に認めてもらうこと」をこんなにも自分が求めていて、もういい大人で、母親もすっかり晩年期。頭の中では自分がしていること自体が無意味で、この年齢になってもまだ同じことを繰り返す自分に腹も立てていました。
この世界から卒業するために・・・
この辞めたくてもやめれないパターンの世界から出るためにはどうしたら良いでしょうか?
無理やり、何か理由を作って母親から距離を取るとか、妹などにも手伝ってもらう、自分の時間を作るなどは一見、自分を大切にして境界線を守っている・・と思いがち。
でも、この方の根本が「行動を変える」というやり方では、自分は母親から逃げた・とか、妹に押し付けた・とか、長女としての役割を果たしていない私・・など
罪悪感や、自分を責める気持ちが出てきてしまい、それをまた何かで埋めたり、抑圧が必要になってしまうでしょう・・
誰かのために何かをするときには「心からの愛」がベースになければ、だんだんと自分が窮屈で、苦痛を感じてしまいそうな気がしませんか?被害者意識を持ちそうな気がしませんか?
では「心からの愛」とはなんでしょうか?
ハートからの活動、行動
私たちは通常、思考に従って「正しいか」「良いことか」「損しないか」「傷つかないか」「受け入れられるか」「愛されるか」「必要とされるか」「安心か」などなど・・・
自分の今までの経験や、社会のルール、マイルールを一生懸命網羅して、人生を決めてます。
上記の女性も然り。
自分の中の経験や、社会的にも良さそうなマイルールから会社を辞め、母親の介護を選びました。そして、これは一見喜びや自分への誇りや、周りからの賞賛もあり、とても正しい決断をした勇気ある自分である感覚もあったと思います。
では「ハート」で決める、「ハート」でそこにあるものを見るとは・・?
ハートは「損得」「善悪」など思考が持っている対立する考えではなく、そこに安心がある?そこに歓びは?それはどのぐらい好き?結果が出なくてもやりたい?
思考的には漠然として、損するか得するか、成功するか、失敗するかの補償などなく、危うささえ感じますが、ハートは結果より、「好きか」「したいか」ただそれだけ。非常にシンプル。
結果ではなくプロセス自体に幸せや平和、満たされ感がそこに既に在って、繋がり感や自分への肯定感がベースです。
自分がどのぐらい落ち着いて、平和な感じを感じられるか・・でそこに二元の「善悪」「損得」などがどっちでも良い・・ぐらいの感覚。
対立のない場所で人生を創り上げ、人生の経験を増やしていけることが=ハートベース=思考的には不安で危なっかしいことですが、こんなに大切なことは無いぐらいに、留まって感じていきたい所です。
同時に、自我は最も苦手な場所でもあるでしょう・・・
ハートの声を聞くためには、まず自我のニーズを満たす
例の女性の件では、まず「母親の中に自分がいない」「寂しさ・悲しみ」や「私を認めてほしい」声が相当埋まってから(ここの癒しが進んでから)
さて・・「どうしたい?」とジャッジなく(自我目線ではなく)、純粋に自分に聞いていくところから始まると思います。
母親の介護は自分にとって何を意味するの?介護と、自分の仕事のそれぞれの意味づけなどをしっかり引き出したり、今の自分が最も大切にしたいものなど、いろいろな方面から潜在意識の声と対話して、初めてやっと「どうしたい?」が顔を出してきます。
その「こうしたいの!」は頭で考えていた形と違う場合もありますし、一般的には理解されにくい形もあり得ますが、ここで出てきた「こうしたい」は
自分に罪悪感や後悔などは感じさせるはずもなく、自分が自分に叶えてあげたい愛がベースの声でしょう・・
相手の態度に自分が巻き込まれるのではなく、きっと相手の態度を超えた場所で、自分の平和や、幸せ感が見つかれば、それが私の一番安心していられる場所。
自分の本質からの行動や思いは、何にも影響を受けずに(相手の行動に影響を受けずに)温かさ、緩みをもたらせてくれるでしょう・・
※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。
あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。
提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)
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