皆さまこんにちは♩
人間関係、家族などとの関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など、ドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方のお悩みを聞く側に自然に変化した心理セラピストの浦松ますみです。
今日は何度も書いていますが人間関係とは切っても切れない「境界線」のお話。この境界線は知識としては分かっていても、実際の人生の中でどのように現れ、どのように意識するかは、本当に奥深く、難しいものなのです。
境界線を引こうと意識している時の自分をまずはじっくり観察していきましょう。
境界線を「引かねば」の必要がある時とは?
そもそもなのですが、境界線を意識し、調べたり、「引かねば」に傾いている時の自分の状態はどんな状態?状況になっているでしょうか?
基本的に「健康的な境界線」が引けているとは、自分に力があり、安心・安全を感じられている時。
過去の私もそうでしたが「境界線を引こう」「私の領域を侵入されている」「私が相手の領域に侵入してしまった」など感じていること自体が、何か心の中の仕組みがそうさせていますし、それが必要だと思って行動していますし
自分自身がとても安定し、リラックスし、満たされている時にはそもそも「境界線の意識」さえ、気付いていずにナチュラルに健康的な境界線が人生の中で自然に現れています。
そもそも人生や人間関係には「正解」がない
本やブログや、講座などで本格的に学んだとしても・・・人生や人間関係や、私たち全員がユニークな唯一無二の仕組みを持って生きているので「絶対このケースはこれが正しい」「こうしたら失敗」など
完全な分類に分けること自体が不可能です。
その時の自分にスッキリしたり、優しい気持ちになれたり、相手との間に温かさを感じられていたら、それはある意味その時の私にとって「正解」です。
例えば、本当ならばこれはおせっかいで、境界線越えをして、相手の力を奪うことなんだ・・と知識上では感じても「力があり、余裕があり、満たされた自分がこのケースではしてあげたい」ことはしても「アリ」だと言うように
ルールや知識でバキッと切ってしまうより、相手の気持ち、私の気持ちがちゃんと双方で「受け止められているか」「通じ合って暖かさや感謝があるか」がそもそも大切だと思います。
物理的に「◯◯をした」と言う行動レベルでの目にみえるものというよりは、そこに在る「感情」に集中し、お互いが気持ちのフォローがそこにあり、
相手に「自由を与えているか」「選択の自由が相手にあることが分かっているか」「自分に喜び・感謝があるか」がポイントです。
相手に選択の余地がない頼み方、期待を持つことは(心の中でひっそりとだったとしても)「境界線越え」になるのは、断られた時の私の感情を感じたくないから「こうしてほしい」が強くなります。
NOだった時の自分の感情の責任は、この気持ちのケアをするのは「私の大切な仕事」なのです。
ここがきちんと気付いていたら、境界線はほぼいい感じで引けているし、人との繋がりも円滑で軽やかではないでしょうか?
自我は「力がある」とは思いにくい
多くの私たちは勿論、自信があるものや、絶対大丈夫と思えるものもありますが、全部が丸ごと何でも大丈夫とか、何があっても心が揺らがない・・などは難しく
凸凹していますし、どちらかと言えば「出来ないなぁ」「普通より弱いかも」など感じているものもそれなりにありませんか?
自我はそもそも「分離感」がありますし(あなたと私)誰かと比べて自分が劣っていたり、遅れをとることに怖さや不安、焦りを感じやすいです。と言うのはこれも何度も書いていますが
自我は「生き残りたい」からです。
常に生き残りのサバイバルを一生懸命頑張り続けています。
自分を尊重するとは?
自分の生き残りがうまくいくために「自分を尊重するんだ!」のと、自分の気持ちがよく見えていて理解できているから「自他共に尊重する」のは大きく違います。
生き残りのため:尊重しないと、他者より優れていないと、劣ったら生きていけないがベース。そのために自分優先が大事と感じている。いちいち相手の反応を問題視。それを自分の問題として解決しようとしている。閉塞感がある。怖さがあり、守る必要が強い。
自分の気持ちがわかる:他者の気持ちと自分の気持ちの区別がついている。良く見えていて理解できているから自分を大切にと言う視点も生き残るためではない。そもそも、自分自身の力やできる役割も見えている。
自分・・ちゃんとありますか?大切にしてあげられているでしょうか?
私は上になりたい?勝ちたい?
常に誰かと自分を比べ、何かと比べ、上で居たい・・勝ちたい・・・負けたくない・・・劣りたくない・・と思っている場合は出発点の私が既に「力がない私」「負けちゃって弱い私」のイメージが深いレベルであることが見えてきませんか?
サバイバルの世界観がそもそも社会にあるため、そう育てられて、親に従い、学校に従い、会社に従い、社会のルールに従い・・上手に従って、その中で平均以上にいられる方が自我的にはラクかもしれません。
与えられたものを上手にこなし、自分が「こう言うことを自分の人生にしたい」と創造していくよりも、従って=境界線越えをされて、誰かに任せ、誰かに守ってもらい、誰かに埋めてもらう方が自分でどうにかしなくて済みます。
でも同時に、不満や不安などが出てくれば、やがて「被害者意識」も育ち、ますます力のない犠牲者の自分・・が当たり前になります。
では力を持っている大丈夫感覚の私はどんな目線になっている?
横並びの自由さ、ラクさ
優れなくていい、出来なくて大丈夫、常に与えられるだけではなく自分も与えることができて対等、同じ、横につながっている人間関係は・・・想像してみると呼吸がラクで、サバイバルで勝たなきゃ・・と言う気持ちが出てこないですよね。(必要さが減る)
私にも誰かに貢献できる、役立てられる、喜ばれるものがあり、相手からももらえる相互交換の関係は横のつながりです。
相手の顔色を伺う必要がなく、自分勝手に強い自分を作る必要もなく、してもらって「ありがとう」「感謝が湧いて幸せや満ち足りた感じ」をお互いか感じられる横並びの人間関係を今の自分が持っているか・・振り返ってみます。
長く、上手く、自然に続くのはこちらの関係の方が多くないでしょうか?
また、こちら側の目線になると自分に自由があり、選択権もあるため「創り出す」方向にエネルギーも向かいます。
私にちょうだい・・から「私が作れる」から誰かに分けられるし、私も貰っても下になる必要もない「横のつながり」を人生の中で作っていけたらいいですよね。
横つながりの世界では「助け合い」になるため、どちらかが下、どちらかが上と固定されにくく、被害者意識も持たずに済みます。(あなたも、私も出来る)
自分の自信や、自分OKのエネルギーが保ちやすく、助けてもらう事にも卑屈さも必要がないので、依存にもなりませんし、そこには助ける側も、助けられる側も健康的な喜びになるでしょう。
横つながりのコミュニティー、仲間作りって本当に大切です。
※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。
あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。
提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)
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