なかなかラクにならないメカニズム

【なかなかラクにならないメカニズム101】甘えと依存の違い

皆さまこんにちは♩

人間関係、家族などとの関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など、ドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方のお悩みを聞く側に自然に変化した心理セラピストの浦松ますみです。

今日は甘えて良い時、依存との違いについて色々な角度から「どう言う意味なのか」を一緒に眺めていきたいと思います。

相手が健康では無い状態で、どうしても助けが必要なケースなど・・・これも正解のないものゆえに、丁寧に見つめていきたいテーマです。

「必要な助け」を求めることと「依存」の違い

もし、自分が助けを必要としている側だとして、依存になっているか、健康的な「お願い」として助けてを伝えているかを見るポイントは

頼んだ相手に「するかしないか」「助けてもらえるか、無理なのか」の決定権、選択権を相手側に委ねているか、相手の自由としてこちら側に認識があるかどうか・・を見ていきましょう。(選択権を相手の自由に出来るとは、どんな意味か、どんな自分かなども気付いていきましょう)

当然困っているし、心の弱っている時には「自分が無力」で助けが必要・・と言うスタンスになっている場合が多いかもしれませんが、その時に同時に見たいのは「相手が助けること」が当然と言う期待や「べき」が心の片隅でもひっそりと思っていないかどうかです。

自分ごととして振り返っても、相手が自分に合わせて助けてくれることが当然になってしまうと、いつかはその関係は相手にとって重たく、負担になってしまいます。

「私のニーズをあなたが埋めて」が当然になっていたら、それは自分は相手の境界線を超えています。また同時に、それは自分で自分に与えることができない無力な自分とも言えないでしょうか?(ジャッジは横におきます)

助ける側の視点

上記のように、相手のニーズを埋めることを自分が許し、相手の助けてを受け入れ続け、自分の負担に蓋をし、必要以上の「してあげなきゃ」と言う視点になっていたら・・それは助ける側の私が境界線超えをしています。

ただ、相手が心身ともに困っていて、健康じゃない場合などは「相手が依存して変われないから」など厳しくしなきゃ・・とか、絶対に共依存になりたくないとパシッと切ってしまうのも「理解を示す」視点ではなく、境界線越えになりたくないからという愛のない判断。

パシッとやめることはないにしても、要望を聞き続ける必要はないですし、疲れ切っていないし、余裕があって「サポートしたい」と思えば「自分がどうするかを決めていい」自由の中で行動を決めれば良いのです。

人生は答えがないものだらけ。

また、今全く自分の力で立てない状態なのに無理やり「自立しなきゃ」とか「依存になるかも」と言って助けを求めることを禁じても悪循環です。

どんな弱っているように見えている相手でも(自分でも)それは「今」はそう言った状態だけれど、何がこの状態を作っているか、どうして自分のそもそも持っているパワーが隠されてしまっているかなど

そこを見つけてサポートするという助け方も大変素敵です。

健康的な人間関係は「自分」が作れる

行動レベルでは「助けてもらう必要」や「介護として」のサポートが必要でも、それがないと=あなたがいないと私は幸せになれない、安心できない・・と思っていたら

この時の自分が既に「相手より小さく」「相手より弱く」「無力」な感じがしませんか?

そして、その相手がいない時には「孤独」や「ひとりぼっち」な感覚など、それがないとダメな私とは健康的な関係ではなくなってしまいます。

本当の意味での自立関係

一人で何でも出来る能力があって、助けが必要ない私とは全く違い、相手の好意が見えていて、自然にそこに感謝が湧き、自然に自分が相手にできることも、伝えられることもできていて、それは「横」の繋がりの人間関係。

助けてもらうことと依存の違いがわかっていたら「行動レベル」でどうするか・・ではなく、どんな自分が「助けたり助けられたり」しているかが見えています。

お互いを思いやり尊重している「横」の繋がり。

理解を示すことや自分がどんな状態かを知ることが愛。

自分の中の愛にそれぞれが繋がることができたら、それは自分の中の力とも繋がっている証です。

いつも「自分の中の愛、パワー」を感じられている「私」がいる限り、助けてもらっていても、助ける側だったとしても健康的な関係でいられるので安心しましょう。

人に甘えないと乗り越えられないほど弱って辛い状態の時は全然アリ。ちゃんと自分がそこに気づき、「今、あなたの助けが必要」だけれど、もしそれが難しかったら(がっかりしちゃうけど)そのがっかりは私の感情。

それは私が自分に理解を示す領域だから・・がどこかで分かっていたら・・・断った人ともまた繋がれる時が全然あると思います。(実際に断られても、しばらくしたら、不思議ですが、今までの感謝が思い出されてきたりします)

また自分が自分を「力がない存在」と深いレベルで見ていると、相手のことも「力がなくて、可哀想な人」に見えてくるので、不健康な必要以上に助けたくなってしまう傾向を生み出してしまいます。(投影の仕組み)

自分を充分知り、受け入れて理解を示し(コンパッション)時々深呼吸など物理的に身体に働きかけ、交感神経から副交感神経へ身体レベルでも持っていってあげたり

自分の投影に気付くことも加わると・・既に自分が自分を幸せに連れていける、自分にその力がある領域にいることが身体レベルで感じられるでしょう。

※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。

あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。

提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)

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