皆さまこんにちは♩
人間関係、家族などとの関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など、ドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方のお悩みを聞く側に自然に変化した心理セラピストの浦松ますみです。(生きづらさはきっと30年以上でした)
今日は「自己愛」「自分を尊重する」「自分を愛する・好きになる」系のことが本当の意味でなぜ難しく、簡単ではないか・・ということを書いて行きたいと思います。
と書きながら同時に感じているのは「割と簡単な人」もいる・・というのも事実。
長年の生きずらさや、ずっと何かが楽しくない・・と思っている場合や、特定のトラウマがある方向けになると思いますが、ここを一緒に見て行きましょう。
そもそも「私」は「私が大事」
私たちはどんな人でも「自分という存在」をどうあって欲しいと感じているでしょうか?
この人(私)は幸せになって欲しい・・この人にリラックスして欲しい・・この人に愛をたくさん感じて欲しい・・受け入れられる人、必要とされて、孤独ではない人生を歩んで欲しい・・などなど・・
自分特有の「こう生きてほしい」というものはポジティブや、優しさや、温かさ・・安心や安全を含んだものが多くないでしょうか?
その為にそうなるように、いつも自分は自分を見張り、良くできているか、失敗していないか、みんなから変に思われていないか、嫌われていないかなど
無意識に緊張して生きている部分があるでしょう。
では最初に書いた「自分を愛することが簡単にできやすい人」とはどんな人でしょう?
元々、自分の構造が大丈夫感、安心で作られている人
育った環境も大きな影響はあると思いますが、やはり、同じ厳しい環境で育った兄弟間でも心の構造がなぜ違うか・・といえば「その出来事をどう解釈して、自分の中に取り入れていったか」が違うからです。
母親が自分の顔を見てくれない・・疲れた声で「静かにして」と言った出来事があった時、同じ兄弟でもAちゃんは「あ・・私、邪魔な子なんだ、要らない子なんだ」と自分で解釈したり、Bちゃんは「あ・・今はタイミング悪いだけ。ママを怒らせないように、今は大人しく向こうに行こう(自分の存在は関係ないんだ)」など
受け取り方=解釈の仕方=ビリーフの作られ方=セルフイメージの構成要素は全部違います。
そして、ここにどちらが正しい、どちらにするべきは一切横に置き、仕組みの話として進めて行きます。
しかも・・この自分の解釈を一切の疑いを持たずに瞬時に私たちは「すごく正しい事実」として疑いを持たずに身体を通じて感じて、取り入れて行きます。ここがとてもポイントです。
Bちゃんのような解釈が多い人は心の土台も「自分責め・他者責め」ベース(被害者意識)がそこまで強くなく済みますし、いつも何処かで大丈夫感、機嫌が治れば自分は話を聞いてもらえるし、可愛がられている・・と感じることが容易です。
Aちゃんの傾向が多かった人はどうなっていくでしょうか?
自分への課題をたくさん作るとは?
自分は嫌われる・・迷惑をかける・・ママを怒らせる・・要らない子なんだ・・が沢山人生の中で刷り込んでしまえば、当然ですが「自分を生き残らせるために」何をするでしょう?
良い子、愛される子、気に入られる子、守ってもらえる子・・自分を安心・安全にするために、そういった子になるための自分への課題を増やして行きます。
出発点が「ダメな自分」系であれば、それを克服するための課題を作り、間違い犯さないように、失敗しないように、誰かを傷つけないように・・など
こういったことにエネルギーを使い、自分のしたいこと、自分の喜び、自分の楽しみは二の次、三の次・・
ある方などは「自分が楽しむ」「自分が幸せになる」ことさえ罪悪感を持つほど、いつの間にか私たちは「自分を愛したいのに、自分に厳しい課題を背負わせる人生」を頑張って作り続けています。
そして、無意識なので「それが絶対に正しいこと」である・・という意識さえなく毎日生きてしまいます。
どんな刷り込みもケアはいつからでも出来る
癒しは勿論「個人的」なものであり、中身が違うので同じビリーフやセルフイメージであっても(言語上)背景や、作られ方が違います。
同じ和風味の出汁であっても(言語上は「わ〜、私も同じ、和風なの!!」と意気投合しますが)その出汁が昆布、鰹、煮干し、椎茸、焼きあごなど・・同じ魚でも鰹と焼きあごでは全く風味は違いますし、どこで取れた、産地の違いや季節の違いもあるでしょうし、配合でも違いますし・・
本当に全員がユニークな存在というのは完全オートクチュールな仕組みだからです。
しかも、完全に同じ材料、配合でも料理人によって微妙な味の違いは生まれるでしょう・・
心って本当にすごく複雑で、同じものがないため、やり方や知識だけではトラウマや長年の拗れた複雑な重たいケースが動きにくいのです。
師匠の言葉を借りると「状況は変えられなくても、(自分がする)経験は変えられる」そして「(その)経験が変われば状況も変わってくる」というものがあります。
これはどういう意味かといえば、自分の親や、起きた出来事は変えられないし、亡くなった人を生き返らせることも、病気が治るということも変えられなくても、自分自身の心の中の仕組み(自分を作っている構造)が変われば、そこから見える世界、感じるもの、聞こえるものが変わってくるよ」ということ。
そして、少しでも優しく、少しでも安心や広がりや、他者とのつながりが増えれば、それに伴った状況が作られやすいという意味です。
(自分が全く変わらなくても、引き寄せれば変わるという意味ではなく)自分の日々の感情や思いを作り続けていて、それが正しいという設定の根本が愛でいっぱいになる程、それはきっと苦しい自分が想像のできない世界が本当に現れてくる・・ということですが「今の自分が知らないから」です。
感情も幾つもの層があり、セルフイメージやビリーフも深くなるほど「同じ言葉」でも意味が違ってくるため、根本的な解体は時間がかかりますが、(最終的にはどこまで自分を見て行きたいかにかかりますが)体験から来た本物の癒しはきっと豊かでお金では買えない安心へ繋がっていくでしょう・・
※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。
あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。
提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)
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