なかなかラクにならないメカニズム

【なかなかラクにならないメカニズム112】自分に力があると思えている?

皆さまこんにちは♩

人間関係、家族などとの関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など、ドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方のお悩みを聞く側に自然に変化した心理セラピストの浦松ますみです。(生きづらさはきっと30年以上でした)

今日は、「出来ているつもり」でいるけれど、本当の意味で自分はどのぐらい自分主権、自分に力がある、自分は出来る、大丈夫と思えているか・・

ここがどのぐらい人生に大きな影響を与えているか、人間関係にも左右されているかを一緒に見つめて行きましょう。

ほとんどの自我自体が「何か欠けている」と思い込んでいる

もし・・自分の周りの人々、家族、友人、職場の人々・・クラスメイトなど、自分も含め、みんながみんな「私は大丈夫、出来る、自分が決めていい」など心のベースがこういった傾向であれば

すごく過ごしやすい世の中、人生になる気がしませんか?

ここでの「何か分からないこと」「出来ないから助けて」ということは、自分に力があるけれど、これが苦手だから助けて?という主訴で頼んでいる場合は、もし断られたら他の人に聞いてみるとか、たまたま自分と同じく、これが苦手なのね・・など

頼むこと自体に負い目や、自分責めや、迷惑をかけている・・などのニュアンスがだいぶ減る感じがしませんか?

ベースが「たまたま、これが今できない、これは苦手」であり、自分の存在そのものがダメ、負い目では無いため、相手の態度や表情で自分の存在価値が決められるわけでもなく、自分が自分を認めています。

自分に主権があり、自分が安心・安全がベースに増えれば、相手への尊重も自然と生まれ、被害者意識も持つ必要がなくなってきませんか?

どちらかが大きく、権力があり、どちらかが小さく弱くて従うしかない、されるしかない、我慢するしか生き延びられない・・などがベースであれば

当然生きずらく、何か楽しくなく、また楽しんではダメ、とか隠れて大人しく目立たないようにしようとしませんか?(当然、怒り、恨み、嫉妬などもくっついています)

そもそも、自我の構造が「何か足りない」「出来ない」「弱い」などがどこかにあり、常にできる自分、安心安全を求めるあまり、警戒して緊張して・・そして自分の試験に合格して絶対排除されない・・などになれば、初めて緩める仕組みになっています。

気づきにくいポイント

欠けている、何かがまずい・・と思い込むこと自体が「安全」を作り出せると思い込んでいます。

本当に求めているものとは?

出来ていない私、迷惑をかけてしまう私、お金を稼げないから誰かに頼るしか無い私・・だとしたら、常にそこを守ってもらう代わりに「何かを提供しよう」とする私が瞬時に誕生していないでしょうか?

多くの私たちは(私を含め)稼いでいるから、何かで役に立っているから、必要とされているからここにいて良いし、居場所として安心していい・・と自分に言っています。

例えば家庭の中でも「勉強を頑張って親を喜ばせる」「親の気持ちを察知してあげられる」「自慢の子供の役割を果たしたら」家庭の中でとても大きな居場所を確保した気になったり、職場でも「私がこれをしたことでうまくいった仕事」があれば、職場での居場所を安心して感じられます。

また、お給料をもらうことに対しても引け目などもないし、家族を養ってあげている・・という自負(自分は相手より上)が、ここにいて良い感覚を安定させるでしよう・・

では・・改めて・・・

逆の立場になった時、私たちが本当に欲しいものは何?→考えたこと、ありますか?

自分が沢山稼いで、沢山役に立っていたら?

もし、すでに十分に自分がお金も沢山稼ぎ、たまたまできることや得意なことで、所属先で重宝がられていたとします。

そんな時に、当たり前のようにはされたくありませんが、相手が「本当にありがとう」「とても助かっている」「代わりに、私にこれをやらせて」など

認めてくれていたり、感謝をきちんと感じていることが分かったら、そして相手なりに、その人ができることを(自分とは違うけれど)やってくれようとしていたら・・

真剣に想像してみよう♡

自分と同じだけ稼げ、とか、自分と同じ能力を持てとか、相手を下に見て馬鹿にしたりしたい気持ちは自分の中から、その時に出てくるでしょうか?(既にそれを持っている自分として)

感謝が心からのものであり、相手も「これができるよ」と自分を何かでサポートしてくれたり、困ったときの相談に乗ってくれたり・・実はもう、それが嬉しかったり、win-winの良いエネルギーの循環がそこにありますよね。

これは二人はある意味「横つながり=同等」です。得意なものが違うだけです。

自分が罪悪感を感じている時

もし、自分が何かの理由から「負い目」「迷惑をかけている存在」「自分だってしたいけれどできない(嫉妬)」「下に見られているんだ」など出来ていない自分を自分がひどく責めていると・・・出来ないことに対して罪悪感を何らかの形で持ってしまいます。

そういった被害者意識の自分は心から、相手を認め感謝の言葉を言えるでしょうか?想像しただけでも「言えない」ですよね・・(当たり前)

逆に相手を責めてしまって「自分が養っているって思うなよ」とか「誰のおかげで、掃除ができているか分かるか?」「◯◯として、当然」など自分の何かを感じたくなくて、売り言葉に買い言葉や、卑屈な返事になりがちです。

心の中でひっそり思うのも、はっきり相手に伝えるのも同じ仕組みです。

私たちは相手が役に立っていなくても、負担は感じていたとしても・・本当に嬉しそうにしてくれたり、心からの精神的に自立して被害者意識になっていない、一緒にいて「楽しい人」「優しい人」であれば、そんな存在と過ごしたくありませんか?

お金を稼いでも、役に立っても「威張って見下す人」とはあまり生活したく無いですよね。

もし自分が稼いでいなくても、役に立っていなくても「どんな自分」がここにいるかを振り返ってみませんか?

自分観察のポイント

卑屈気味、自己否定の自分がいれば、自我の「それが出来たらここにいていい」の恐れからくる罠にすっかりハマっている状態かも知れません。

これは人類全体の刷り込みでもありますが、ここから自由になる、自分が精神的に自立して自分をOKになることは大いなるチャレンジであり、今は未知でも、想像を超えたラクな自分との出会いにつながっていくでしょう・・・

 

※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。

あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。

提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)

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