なかなかラクにならないメカニズム

【なかなかラクにならないメカニズム90】身体を巻き込む重たい苦しみを解く

皆さまこんにちは♩

人間関係、家族などとの関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など、ドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方のお悩みを聞く側に自然に変化した心理セラピストの浦松ますみです。

今日はお題にも書いた通り「重たい苦しみ」「全身が引きずられて一日中考えている状態」など・・・

こんな時に自分でできる少しでもラクになれる方法を見ていきましょう

苦しいとき「相手」「状況」に意識が向いているケース

 

私たちは(私を含め)悩みがある時、どんな思考が頭の中をざ〜〜っと流れ続けているでしょうか?改めて観察したことはありますか?

「あの人が私を下に見た、軽んじた」

「あの人が私を裏切った」

「あの人が絶対に悪い」

こういった苦しみ系の時には「相手」に意識が向き、相手のせいで自分が傷ついた、損をした、辱めを受けた「被害者の私」状態になっていないでしょうか?

この時の私は「無力」ですし「小さい」ですし、当然力がないので「されるがまま」の「THE 被害者」なので非常に孤独で寂しくて、世間や仲間と切り離され、さらに「助けてもらえる感じ」「分かってもらえる感じ」は低くないでしょうか?

もし、誰かに傷つけられても横に誰かがいて、仲間がいて傷ついた自分をケアしてくれて元気にさせてくれる状況があれば、「傷ついた出来事」はありますが、回復も同時に起きています。

また、自分自身に対しての「否定感」「嫌な感じ」も大分減る気がしませんか?

自分責め系の意識のケース

同じように苦しい時に、きっかけの状況や、特定の誰かに意識を向けても、最終的に自分へ否定のエネルギーで責めてしまうケースもありますよね。

「また同じことを繰り返す自分が許せない」(学習しないバカな私)

「どれだけ頑張っても結局できない私」(出来ないことに常に圧倒されている)

「一人じゃ生きていけない誰かに依存しなければダメな私」(生きる資格ない)

などなど・・・

この場合も、出口のない苦しみを繰り返している状態で無力、孤立無援、孤独感・・などに包まれきっているでしょう・・

この世界から抜けるのが非常に難しい状態になっています。

自分の判断が100%正しい、真実になっている

「相手のせい」という外側にベクトルが向いている時も、「私のせい」「私が悪い」と自分にベクトルが向いている時もどちらもこの時点では「100%自分の考え以外の観点が無い」状態です。

自分の頭の中の判断が事実なので、客観視ゼロ、自分特有の思考パターンの蜘蛛の糸に完全に絡まっている状態です。

例)夫は義父の介護でここ3週間、睡眠不足で家事も十分に出来ない私に対して「今夜のおかずはこれだけ?」と言ったんです!私は猛烈な悲しみで涙が止まりませんでした・・。ひどく無いですか?労いなど一切なく、私を責めたんです!そういえばあの人は、感謝なんで今まで見せたことがなかったです。冷たい人なんです・・

セッションの時にこう言ったお話が出たとします。もちろんクライアントさんは100%本気で、涙を流し、身体を巻き込んで完全に悲しみ=自分自身になっています。

少しづつ「事実確認」の視点で本当に?絶対にそうだった?など詳しく話を聞いていくと夫は「美味しい」とか「ありがとう」とも他の日には言った事はあるし、彼女も聞いています。

もしかしたら夫は彼女の手料理が楽しみで、大好きだからもっと食べたかったと言う意味で言ったかもしれませんが(しかも、何も考えずにふっと出た言葉だった)彼女は一切の労いもない、おかずが少ない、もっと作るべきだと私を責めたと解釈してしまっています→しかも「絶対そうだ」と・・・

事実を膨らます拡大解釈

どんなに頑張っても夫は私を認めていない、足りないと思っている・・など拡大解釈も加わると(結構、これ、してませんか?)どんどん、ネガティブな蜘蛛の糸が大きくなり、完全にここで絡まってしまいます。

よく眠れていない、初めての介護で緊張と自分にプレッシャーを掛けている、交感神経が「戦うモード」にシフトしている状態では余計にこう言った「拡大解釈」は元気良く作られていきます。

「拡大解釈」がもっと「絶対そうだ」と正しさを持って自分の中に居座ります。(私を含め、自我の仕組みとして見ていきます)

自分特有の「苦しみ」はどこから生まれている?

実はこう言った状況を同じように経験しても「反応」は人それぞれです。

「おかずこれだけ?」と言った夫に「そんなに私のご飯が楽しみなのね、ありがとう」と言う反応もあるでしょうし、「もう2度と作らないから!!」とか「介護、辞めたら作れるけどね」と嫌味っぽく言いたくなったり怒ったり・・・

「なんで、ご飯は心配しなくていいよ」ぐらい言えないの?と夫を責めたりなど・・・さまざまな反応は「どんな自分がここにいるか」で決まります。

因みに、「大人の対応をすること」や「癒された対応をしろ」と言う話では全くなく、むしろ「傷ついて、怒って、悲しがっている」私をしっかりと見つけ救出します。

自分の中におそらく押されて痛いボタンがあるとしたら、そのボタンがあるからこそ色々な反応が出るのです。

このボタンは「私特有」のボタンです。そしてこのボタンはどこから作られたか・・と言えば、今までの経験や、自分はこう言った人なんだ・・と言うセルフイメージや信念体系(ビリーフ)が関係しています。

また、未消化の解離されたままのトラウマのエネルギーも大きな影響を作っています。

自分に自信や安心がない時

誰かに認めてほしい・・とか、分かってほしい・・とか、謝って欲しい・・とか・・こう言った気持ちが強すぎて、それが満たされないとどうにも苦しい時には、自分がそもそもどう言った自分になっているでしょうか?

誰かに・・何かを求めている時には完全にベクトルは外に向いています。そしてそれが得られない限りはずっと「それがない私」として存在しなければならないため

「それをくれない相手」にずっと怒りや恨みを持ち続けるのも心の仕組みから見れば当然です。

また、自分責め系の場合も「自分がそれができるようになるまで」「完全に安心できるまで、自信が持てるまで」ずっと自分をバッシングして否定しています。

今の自分はこんな自分

どちらにせよ・・「自分では自分を守れない」「自分では抱えきれない感情に巻き込まれてコントロール不能」の大変な自分になっていることをはっきりと自覚してあげましょう・・・

自分で出来ないのに「どうしたらいい?」とやり方ばかりを探して試しても、結局は一時凌ぎになっていませんか?

癒しとは受容

辛いこと、苦しいことは消したいし、全く大丈夫になることが最初は傷ついた自分が求めるものですよね。

そしてそのためにセッションを受けたり、自己探究の旅を続けたり・・どうしたらいだろうというジャーニーは誰でも一度は経験していると思います。

自分自身も沢山のセッションを受けてきて・・・そして今はする側になって・・つくづく思うのは「変えること」「無くすこと」と思っていること自体が、今の自分や状態を嫌って、否定していると言うこと。

否定するから苦しい・・色々な賢者たちや師匠の溝口あゆかさんも仰っていますが、自分が自分を嫌っている=否定している=抵抗している時・・・スタート自体が自分を許していなくて、変わったら愛してあげる、大丈夫になったら認めてあげる・・と自分が自分に行っているのと同じだなぁとつくづく感じます。

自分が辛い時、誰かが無条件に「そうだったんだ・・それじゃ、こんな風になるのは当たり前だよね」とか「あなたが悪いんじゃないよ」「よくやって来たね・・今まで孤独だったね」など

私が本当に欲しいもの

無条件に受け入れて共感してくれる=受容こそが傷ついている私が最も安堵出来るものではないでしょうか?

更に、受け入れてあげたいけれど、この自分をどうしても嫌ってしまう自分自身も、全部理解して「そうだよね」と共感=理解=受容できていくと・・・

きっと起きた出来事は変えられないし、記憶はあるのですが、感じ方、捉え方、見え方はシフトして自分に柔らかいものへ変容していきます。

ここは感情を触るセラピーが私の場合は必須アイテムとして使いますが、イメージとして「心から受け入れる」「心から受け入れられない自分も理解して分かってあげる」

こんな視点を持てたら素敵な癒しだと思います。

※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。

あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。

提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)

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