皆様こんにちは♩
人間関係、自分と自分との関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方とセッションをするまで変化した心理セラピストの浦松ますみです。
今日は、何度でもお伝えしたい「投影」について。
投影は表面的には読んですぐに「分かった」感じを持ちますし、ある意味間違っていませんが、実は奥深いのは顕在意識での理解と身体(潜在意識)を通じての理解が断然差が大きいのです。
表層の思考が実は潜在意識から作られているため
潜在意識レベルで=身体を伴った、「深い理解での投影」のシフトしていくためには、言葉や入り口を変えて何度でも体験を伴って、腑に落としていきましょう。
目の前の人・出来事を通じて何を見ているの?
例えば今、カフェで友人とお茶をしているとします。
この友人は学生時代からの友人で、長い付き合いです。今日もまた彼女との会話を聞きながら、心の中で収めるか、実際に伝えるかは色々ですが・・・
「ほら、またやってる・・」「あなたなら、そうするよね」「私よりもそれはずっとマシ」「やっぱり、彼女はこれからも私の信頼できる人だ」「ホッとするなぁ」などなど・・・
さまざまな声が頭の中を駆け巡っているでしょう・・
私たちはいつでも「今」そのものを見たり、聞いたりするよりは、彼女を通じて全部、彼女との過去の繋がり=思い出を総動員して感じて判断しています。
例えば、2回目の結婚が決まり、幸せそうにいろいろな相談をしてくる彼女を見ているあなたは「何を感じ、何を思い」をの話をきているかといえば、過去の彼女の今までの恋愛話や、1回目の離婚の時に何度も相談されたシーンを思い出しているかもしれません。
ここでの自分の反応は「良かったね、今度こそ幸せになってね」かも知れませんし、「今回、どのぐらい持つだろうか・・」「今更水を差してはいけない」「彼女を応援しよう」かも知れませんが、全ては彼女との思い出からの解釈なのです・・・
記憶って何?
記憶って改めて考えると何からできているでしょうか?
記憶から私たちの常に解釈を生み出しているのですが・・・
①思考そのもの
②感情
③身体の感覚
④イメージなどなど・・
主観的な自分だけの捉え方ともいえますし、言い換えると客観視はゼロ。全部自分からの見方=「私はこう思う」=「それは事実」として身体を通じて感じています。そこに感情も当然くっついています。
でも、絶対に正しい記憶と思って抱えてきたものこそ、それ、実は本当なのだろうか・・と見ることは非常に大きな第一歩。
主観的な自分だけの捉え方ともいえますし、言い換えると客観視はゼロ。全部自分からの見方=「私はこう思う」=「それは事実」として身体を通じて感じています。そこに感情も当然くっついています。
自分の主観的な客観視ゼロの記憶ほど当てにならないものがない・・嘘のような本当の話です。
実は幼少期の思い出でクライアントさんだけではなく、普通に兄弟同士で懐かしい話をしていても、自分の思っていたことと事実や、周りの反応、記憶の持ち方が全く違っていたことを経験された方も多いのではないでしょうか?
例)引っ越ししたばかりで、周りに友達がいない状態で一人で寂しかった私は、クラスの子と仲良くなるために、誕生日会を開いて欲しいと母にせがんだけれど、絶対に無理と一喝された・・。いつだって母は私の切なる願いを無下にする人・・。絶対真実。今でもそう思っている・・。
他の兄弟や母と話をしていて分かったこと。
引っ越し直後は家のローンや、新しい環境で両親ともに余裕がなく、母も仕事を少しでも頑張って私に塾代や新しい衣服を買ってあげたかったことを知った・・。そういえば、新しい習い事は行かせてくれたっけ。そういえば洋服は、この頃の一番のお気に入りのフリルのスカートをはいた記憶があるなぁ・・。
自分が欲しかったものが得られなければ、それはネガティブな冷たくされた記憶として抱え続けますし、その時に感じた寂しい感情などはそこに残っています。大丈夫感、安心がなかったという自分にとっての出来事は、「生き残るサバイバル」に太く関わっています。
普通に欲しかった洋服や、いきたかった習い事は「楽しい」ことなので、感情は充分感じて流れていきます。
ここに一切のジャッジは無しで=ただの仕組みとして、話を進めていきます。
苦しくない人生にしたいから、苦しいことを覚えている
矛盾した言葉ですが、私たちはいつだって「生き残り」のために人生を良くしようと無意識に、自動的に頑張っています。
安心を少しでも増やしたくて、ネガティブな感情は感じたくない、排除したいのである意味忘れてしまったらダメなのです。また、感情自体は「流動性」のあるものなので=エネルギーなので、感じれば流れる仕組みです。
ずっと覚えておきたい超感動した人生の出来事を「全部そのままの大きさ、体感覚でキープ」することって難しくありませんか?
それは、「思い切り感じているので、流れてしまっているから」
でも、ネガティブ系の経験・記憶は10年経っても「ムカムカ」したり「悲しく」なったりできるのはどうしてでしょう・・それは「感じきれない」「感じると辛い」ので切り離したり、蓋をして、そこに実は止まったままだからです。
一番分かりやすいのは「トラウマ」
トラウマはまさに「抱えきれない感情」なので乖離したり、切り離して時間を止めたままにして「傷つかないように=生き残るための知恵・叡智」私たちを守っています。
かなりのエネルギー量なので、トラウマのケアは1回のセッションというよりは、同じシーンを複数回なぞっていく場合も多いです。
永遠=絶対に大丈夫=受容しかない本質を求め続けている
考えてみると・・どの苦しい私も何を求めているかと言えば「永遠に大丈夫」「絶対に安心でいられる」「無条件に愛される(だから安心・安全)」こと。
恋愛でのパートナーシップにしても、お金の不安にしても、身体の健康にしても・・絶対に自分にとって大丈夫である安心安全を求めていることが、色々な苦しみを見ていて、自分自身の体験からもここに行き着くとつくづく感じています・・
私たちは「本質・無条件の受容(愛)」を本当の意味で知らない、感じられないから探し求め続けるし、手に入れたと思っても今度は「いつ失うか」を心配し続けるのです・・。
本質を知らない、信じきれない「私」には何かが必要なのです。
代替えが必要なのです・・。
この安心から最も切り離されたジャーニーから、抜け出る方向に一緒に行きませんか?
※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。
あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。
提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)
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