なかなかラクにならないメカニズム

【なかなかラクにならないメカニズム61】自分が好きになれない苦しみ

皆さまこんにちは♩

人間関係、家族との関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方のお悩みを聞く側に自然に変化した心理セラピストの浦松ますみです。

今日は「私は今の自分が嫌だ・・」

ここを見つめていきましょう。

こんな自分になっている時にまずは自分に聞いてみたい言葉は

「いつ頃から、自分のことが好きじゃなくなったの?」「その時、何が起こったの?」

本来の誰にでも生まれた時にはあった「純粋な生命力」「善良さ」「素晴らしさ」「健気さ」など唯一無二の私が居たはずから・・・何がこうさせているのか・・

一体何が「自分を好きじゃなくなってしまった」状態を作っていったのかを見つめていきたいと思います。

自分を嫌いになる「何が」起きたのか?

自分自身の今までのワークのテーマや、他者へのセッションを通じ、本当に沢山のケースを体験として感じながら見えていること・・・それは

「否定」が何らかの形でそこにあると言うこと。

否定とはバリエーションがたくさんありますが、

例えば「嫌い」「良くない」「許せない」「受け入れられない」「ダメ」「好きじゃない」「気持ち悪い」「認めたくない」「あってはいけない」「恥ずかしい」などなど・・・

ここの言葉は無数にありますが、何らかの上記のような感覚は全て「否定」関連の仲間としてみていきましょう。

否定・・とか、抵抗感とか・・何らかの「嫌なもの」「許せないもの」か必ずテーマの中に見つかっています。

 

逆に言えば、その出来事や、相手や自分に対して「否定」感覚がない時には、引きずられたり、ネガティブな感覚に巻き込まれっぱなしにはなりにくく、短い時間ですぐに忘れてしまったり、気にならないので

まずは自分が自分を心の奥底で嫌いになってしまう(否定してしまう)こと自体がナチュラルでないこと、何かが起きてそうなってしまったことだという目線で自分を見てあげます。

 

自分を嫌いになる苦しさから「何をしているか」を探す

例を出して眺めてみましょう。自分ごとでは無いケースは客観視しやすいので、ご自身のワークの時に参考にされてください。

小さい時に、自分の両親が激しい喧嘩をいつもしていたとします。

兄弟がいても、それぞれの心の中の反応や感じていることは全員違います。もちろん、似たような反応もありますが、最終的には「自分がどう捉えているか」にかかっています。

例)

まだ4〜5歳の小さな身体を使って、その子は2人の中に割って入りますが、当然すぐにつき飛ばされ、ただただ大声で「止めて〜!」と叫んで泣き続けていたとします。

ここでこの子が自分の身体に刷り込んでいったのは

⚫︎「母親が殺されてしまうかも」と言う恐怖。

⚫︎普段優しい父親がお酒が入ると豹変してしまう「恐怖」「悲しみ」。

⚫︎父親が私を突き飛ばすという受け入れ難いショック・・。

⚫︎どれだけ訴えても、身体を使って割って入ってもどうにもならない「無力感」

⚫︎私には何もできない・・と言う繰り返された「諦め」など・・

身体レベルで起きていること

ある意味、これはトラウマとしても刷り込まれていますが、自分一人ではどうすることもできない・・と言うことを繰り返し刷り込んでいくと、自分自身が

「どれだけやっても全部無駄」

「私には絶対にできない」など・・

自分自身がこういう存在なんだ・・とセルフイメージとしても(アイデンティティーとしても)固まっていきます。しかも日常がこれで、家庭が戦場で、むしろ幼稚園の方が安心で・・といった環境であれば、当然何もできない自分を自分が嫌に感じていくのも自然です。

もう一方での刷り込み

また、父親などが割って入った子供に対して勢いで「お前なんか生まれなければよかった」とか、「本当にお前も母親に似て邪魔だ、クズだ」など・・・

自分自身がどこかで「あぁ、私はクズなんだ」「ゴミなんだ」「迷惑なんだ」「存在しちゃいけなかったんだ」など

知らないうちに潜在意識がそう記憶してしまうので、奥底の自分は「自分を否定している状態」がベースになっています。

人生への現れ方はさまざま

ここが難しいところであり、人それぞれと何度も繰り返してしまうところですが、同じような自己否定を奥底で持っていても、人生への現れ方や、状況や、内容によって、相手によって全部違ってくると言うこと。

①例えば、自分はゴミだ・・と思っている人がいても、この自分を感じたくないので非常に頑張って、頑張って人より上に立つことで自分の「ゴミ」さ加減に蓋をする形のケースや

②逆に心を閉じて、ゴミの自分を感じたくないので乖離してしまい、感情を希薄にして人との交流を断つ形になったり

③麻痺させたままの自分をいることすら忘れようと無意識でしているので、意識上では「乗り越えた」と思い込んでいたり

などなど・・ここは全員が違います。

また混ざっていることも多く、あるケースでは人より優位に立ち、「自分はできている」と感じることで自己否定を相殺しているけれど、パートナーシップでは感情を押し殺しているため、相手を信じることなどできず、どこかが上手くいかないケースなど・・・

自分の構造がどんな仕組みなのかを知って、そこからの回復が「本来の私」に戻る大切なポイントです。

本当は誰もが素晴らしいとは真実

自分がまだまだ苦しさを抱えていた頃・・・

こういった言葉を聞くと「理想はね」とか「綺麗事」とか、何かこういった言葉に対してさえ、嫌悪感や素直になれない感覚がありました。

また、本当に痛みを知らないからそう言えるんだとか・・

斜めに、捻れてどうしても感じてしまうのは、自分自身が「本当の自分」や「本当の安心」を知らなかったからだな・・と感じます。

本当の安心を感じられなかったからこそ、欲しいと求めるし、それがないと「かわいそうな不幸な私」と再び自分への何かしらの否定感を強めますし・・

こういった見方もできるよね

何かしらの欲しいものがあればあるほど「それがない自分」と言うこと。

その自分を本当に労ってケアしてあげたいと「思うこと」自体がまずは「愛」だと感じます。

私たちは結果にこだわる

上記で書いた例のように、過去の幼い私は必死で両親の激しい子供から見たら殺し合いに見える喧嘩を「止めようと」しますが

それができなかったこと、母親が怪我を負ってしまったこと・・・

この結果で自分のことを決めてしまいます。

「何も結局はどれだけ頑張ってもできない私」

気付いて寄り添いたい所はここ

感じてあげたいところは結果ではなく、

どんな自分がここに居たか・・です。

本当はその子だって怖かったはず。母親だって震えていたぐらいの恐怖を身を挺して間に入れる強さを持った子であり、二人を止めたいという二人への愛情が強い子でもあります。

それができないことで自分自身へ嫌悪感や怒りを持ったり、母親へ、父親へ怒りを持ったり、自分より大きな人への恐怖を持ったり、世の中への無力感を持ったり・・

こんな時間を持つことも「自分への愛情」ですしとても素敵なケアになると思います。

どんな形でもいいので常に「自分を観察し、理由を知ってあげて、労う」ことを自分流で見つけて続けていくことは立派な自己愛だと感じます。

※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。

あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。

提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)

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