みなさまこんにちは♩
家族、人間関係などで生きることが辛く、依存症・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方とセッションをするまで変化した心理セラピストの浦松ますみです。
今日は、苦しいときには自分から世界がどんな風に見えているかを一緒に観察していきましょう。
普段は「私」が「私」の思考、身体感覚、感情を一生懸命観ているはずですが、
実はそれ自体が既に「自分の世界観」の中でのこと。
自分の世界を外側から見ていくことで「苦しみの元」がよりはっきり客観視できます。
「私の当たり前」はみんなの当たり前ではない??
まず、私の中での絶対的に「正しい」と思っていることを一つ上げてみませんか?
例)
Aさん:失恋してかなり傷ついている友人に、相手の彼が既に同棲を始めていることを知っているけれど、今は言わない・・。これ以上ダメージが重なると、彼女は鬱になってしまうかも・・・。
上記のような話は時々聞いたり、そうだよね~とカフェトークでは友人同士で話した経験はないでしょうか?
話すにしてもも少し彼女が立ち直ってからとか、色々な理由で今すぐに話すことは良くないと考える方も多いはず。これに一切のジャッジなしで次の方の「正しさ」をのぞいてみましょう。
Bさん:今、これを知ることがどのぐらい辛いかはわかるけれど、私は嘘でこの人と接したくない。正直に何でも言える、話し合える友人として側にいたいし、彼女を応援しているからこそ敢えて言葉を選ぶけれど伝える・・・。
ここで一番大切なのは「どっちが正しいか」ではなく、自分がこの出来事を「どう観ているか」にとどまることです。
「私という存在の中身」を知る
まずはご自身はどちらのタイプだったでしょうか?また、このどちらでもない方もいらっしゃることでしょう。
そうです…私たちはある意味全員が少しづつ違う解釈で起きた出来事、周りの状況、相手などを見ています。
自分が見ている風景こそ自分の中での「正しさ」「当たり前」となって、そこから次の思考や感情もどんどん生まれてきているのです。
自分の正しさだけの世界でずっと住んでいると、「客観視」という能力が知らず知らずに弱くなり、持てなくなっていきますし、自分の世界と相反する出来事や人に対して、ネガティブな感情や思いを持つことが多くなりがち。
これも一つの苦しさです。
客観視できる=気づきの視点を持てているということ
私たちが苦しさからラクになるためには一つ欠かせないものがあります。
それが「気づき」です。
実際に状況や相手が何一つ変化していなくても、「気づき」が入ることで自分や相手や状態への理解がど~っと入ってきます。この状態で改めて目の前の風景を見てみると・・・?どうでしょうか?
身体の感覚や、感情や、相手に対して先ほどとどんな違いを拾うことが出来るでしょうか?
自分の世界観が自分を「ラク」にも「タイト」にもしていく
ある例ですが、昔、初めてのお使いというTVがあったのを覚えていらっしゃいますか?
主題歌や、司会の所ジョージさんや・・懐かしいと感じていたら、今でも日テレでやっているとか。(うちではTVを数年前から置いていなくて・・)
このTVの内容自体は大抵の方は「微笑ましい」とか「頑張れ~」とかポジティブな、感動映像として捉えているのではないでしょうか?そして、大冒険をした子供が自信をつけて、一回りも二回りも大きくなって母親とハグする・・・みたいな・・。
ところが、本当に自分がこの世界をどう見ているかでここまで捉え方が違うという例をお伝えしますね。この捉え方がネガティブ、後ろ向きと感じたらそれが既に「自分の正しさでのジャッジ」となっていることで、一切の自分の感想は横に置いてみます。
例)私ははじめてのおつかいというTVを見ていると胸が苦しくなって途中でチャンネルを変えるほどなんです・・・。どうしてか?それは泣いている子を無理やり行かせているのが苦しくて・・。
ハプニングは全然楽しくなく、その子供は「変わること」を大人たちに求められているんです・・。親も泣きながら、心配しながら送り出して「そのままの自分じゃいけないんだ」「親に代わることを求められているんだ」「変わってほしいんだ」と感じるほど
子供が否定されている、私も否定されている(全国の視聴者に)、お使いできないまんま、大きくなったらいけないんだ・・・お使いに失敗している私なんだ・・・そんな風に感じるので見ていられません。
この方は長年、色々な事情から社会に出ることが出来なくなっている方なのですが、こうやって見える世界がこんなに違うからこそ
「良かれというアドバイス」「こうしたら、大丈夫だよ」という声全てが、違う風に届いてしまうこと、頭ではご本人も「分かる」けれど、行動として変化できないのは当たり前ですよね・・・。
正しさや損得の目から自由になる
どんな正しさも、どんな正義も、ある意味「何か・誰か」の解釈で作られています。
それが自分にとって本当はどうなんだろう・・・自分はどうしたいのか?は世間や、一般の常識と同じばかりではないでしょう。
特に苦しいとき、私たちは「言われるまま」自分でそれを確かめて考えたり、感じる時間はあまりとらずに、親、権威者、社会の常識などで鵜呑みにしています。→(ジャッジはせずに眺めて観てみます)
両方がマッチしていたら苦しいことは少ないでしょうが、どちらかが違っていたら・・大抵は「自分が間違っているのかな」「自分が変わらなければ」などと思うかもしれません。
社会が間違っていて、親が間違っていて、先生が絶対に違うという確信を自分に与えてあげるよりも、力があると感じる方に従うことがラクですし、正しいような気がしていないでしょうか?
どちらを取る、選ぶのではなく、まずは「私はどうしてこう考えてきたのかな」「どうしてこちらの方を選びたいと感じているの?」
そこにどんな理由があって、そのためにずっと頑張ってきた「私」を客観的に知ってあげることから始めていきませんか?
今、絶対にその通りと思って握りしめている不動の「私の正しいストーリー」が実はどんな世界観なのかをもう一度振り返ってみましょう。
そこに一切のジャッジなしで、一切の厳しい目を外して「私の正しさ」を知っていくジャーニー、そこにある苦しみと対話して理解して受け入れていくジャーニーを体験してみませんか?
※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。
あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。
提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)
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