友だちとの関係

誰かを愛するより「自分自身を愛する」方が難しい?

こんにちは♩

心理セラピストの浦松ますみです。

今日はいつも何気なく選んでいることが多い音楽「BTS」のある曲から・・彼らのメッセージを改めて心の仕組みの観点で眺めてみました。真髄を突いているなぁと感じたところをシェアしていきますね。

読者登録をPCでは右サイド、携帯からは下にかなりスクロールしたところになりますが、作りました。ここだけの限定・特別な情報などお知らせいたしますね♩

※私自身も過去、家族関係や全く気づかなかった無意識での「自分否定」で、実は過食嘔吐、躁鬱、様々な依存症、家族の精神的な病気・・共依存の世界にどっぷりハマり、毎日YouTubeで自死の方法や自死についての検索を繰り返していました。

この苦しい状態から今では自分自身の癒し・ケアをし続けることで、重度のクライアントの立場から、年間1000名の方々とセッションする心理セラピストに変化した経験があります。

誰かを愛することが上手な私たち

小さな時から私たちは親、大人、先生などから「お友達に親切にしましょう」「困っている人がいたら助けましょう」と当たり前のように教育されてきました。

そしてそれは素敵なことですし、それをすると自分も嬉しくなったり、お母さんに褒められたり、先生に褒められて認められた気持ちになって、ますます張り切って「良き自分」「正しい自分」磨きをした人もいるでしょう・・・

この「行動・行為」自体がダメとか良くないのではないのです。

この行動で自分自身の誇りを得たり、自信を得たり、そんな自分を自分が好きになる・・・こんなパターンも十分に考えられます。

私は長女で、父親が仕事でほぼ不在だった環境のため、心の中にあったのは無意識レベルで「母親を助けなきゃ」「良き姉として妹たちの面倒を見なきゃ」「手をかけさせてはいけない」「迷惑をかけないように気を配るべき」

これは息を吸うのと同じぐらいに当たり前のように私の中に根付いているものでした。

 

「無理していなければ」どんな行為も大丈夫

私の中にある様々な「頑張り屋の思い」はこれ自体は何も問題はありません。

私が得意だったことは「自分より他者優先」

そしてそれにより相手が喜べばどんな困難も全て喜びとして還元されて、ますます自分より他者優先のパターンで行動していました。

幼稚園時代の連絡帳に先生からのメッセージでこんなことがありました。

 

「ますみちゃんは今日、妹さんが初めての登園なので(年子の妹がいます)よほど心配だったのか、自分の遊びの時間にクラスを抜け出して、年少さんの部屋を柱の影からずっと見ていました。お姉ちゃんらしくて微笑ましかったです」

一見美談ですが、心理セラピストの視点で見ると、「あやうい部分」を感じます。

と言うのは、

こうしていつも誰かの心配をしていること=自分の何かより優先し続けている状態は、いつかは怒りに変わったり、悲しみに変わったりしてしまうのです。

※現在は「したいこと」「したい時」「したい相手」を最も大切に物事を選んでいます♩

こんな自分がいませんか?

幼稚園時代を振り返ると・・

妹は常に一番好きなおもちゃを自分の気持ちが済むまで使って遊ぶタイプ。先生が「◯◯ちゃん、今度は△△ちゃんに貸してあげようよ」と言うと「ヤダ〜〜〜〜」

これはわがままと捉えることもできますが、自分の気持ちを素直に表現できているとも言えます。

そして、妹は最後まで大好きなお砂場でずっと遊んでいて、手を洗うのもなかなかせずに、みんなが部屋に入り紙芝居を見ていると

今度は急いで部屋に入り一番前の真ん中で紙芝居見たい〜〜と言ってそこに座っている子をどかそうとします。

当然先生とは揉めますが、実は幼稚園の先生も卒業後に先生の家にみんなで遊びに行った時に

「本当に△△ちゃんにはエピソードが多すぎて・・笑」と言われますが、「あなたのことは忘れられないわ」と愛されていることが伝わりました。

それに比べ、私は確かに良い子でしたが先生の印象にこんなに残らず、妹のような先生に愛され方もなかったなぁと感じます。これが良いとか悪いとかのジャッジなしに眺めていきます。

 

自分を表現出るのはどうして?

私と妹はあまりにもタイプが違いますが、妹はどうして「自分のしたいこと」「自分が言いたいこと」を表現できたのでしょうか?

自分を大事にできる時

「それをしても・言っても」どこかで大丈夫感がある感覚。

言っても、やっても「怖くない」感覚とでも言いましょうか・・・?

 

とても自由に行動し、同時に沢山怒られていましたが、心がとても健康なんです。

自分を抑えている部分が少ないために(本人は凄く耐えた・・と思っていると思います・・笑)

人にも本当に下心なく、無償で優しいし、面倒見が良くて若い時から「ビッグママ」と呼ばれていました。

私は常に「ますみは本当に妹と比べて良い子だから助かるわ」「ますみがいるからママは安心なの」「△△はどうしてますみみたいになってくれないのかしら」

この頃、母親自身も色々な悩みがあり、特にこう言った類の言葉が自然に出てしまったと思います。(誰も悪い人はいないのです。そこに切実な理由があるから・・に変化したのは、だいぶ、自分を見つめてから『初めて持てた感覚』です)

(母にとっては褒め言葉だし、愛情表現の一つでしょうが)私はますます、自分の気持ちよりも他者優先の母を助ける人として成長しました。

 

親を喜ばせること=自分の喜びになりました。

子供なら・・・そうなるのも理解できますしナチュラルなことでしょう・・・。

※これ自体がダメ・悪いという意味ではありません。どんな自分がこの思いを持つようになったかがポイントです。

 

自分の気持ちを優先させるなんて「危険」という仕組み

こんな私ですから「母をがっかりさせる」「先生をがっかりさせる」ことは絶対にしてはいけないし、自分の存在自体が危うくなり、愛されないばかりか「疎まれる」「居場所を失う」感覚も無意識レベルでは形成されていました。

 

人に優しくする、役に立つ、気を配ることにはどんどん長けていくと同時に、

自分を大切にする、自分を優先させてあげる、自分を愛することがどんどん少なくなっていきます。

 

全部無意識レベルでの話なので、本人は全く気づかず、普通のことなのです

当たり前すぎて、何も気づかず、周りの大人も「この子はそういう子」としてここに存在しています。

これがうまくいく場合は「相手が喜んで感謝を示してくれる」「自分自身がそれをやって良かった」と心から感じている時。

もし、無意識の我慢をしているのに「ありがとう」がなくなり「当たり前」になっていったり、いつもしていたのに「あれ、どうして今日はしてくれないの?」「ますみちゃんがこの役は一番合っている、よろしくね」になった時には・・

今度は驚くほどの強い怒り、または今までやってきたことが全部無意味だったという悲しみなどになり、自分や相手に乗せて見てしまうのです。(抑圧・投影の関係)

こんな時、何が起きている?

怒ることが上手にできない私はただ溜めていく、もしくは自分責め、深い悲しみとして身体に蓄積させていきました。(怒りを出したら、見捨てられるなど)

心の仕組みから言えば全く自然です。

 

 

「感謝」の反対は「当たり前」

 

私の親切や他者への優しさは「自分の居場所を確認するため」「愛されているかを確認するため」「受け入れられているか、嫌われていないかの確認のため」がメインで無意識レベルで行動していたため

相手が「当たり前」となった時に、怒りを感じるか悲しみに陥るかというパターンからも長年抜けずに苦しんでいました。

幼稚園時代から高校生ぐらいまでは完全に周りを意識して行動していましたし、大人になってからも表現方法は変化しましたが、まぁ本当に笑えるほど「役に立とう」と頑張ってしまいました。

 

ここで見ていきたいポイントは

「自分の中にも他者に対して感謝がなくなっていくこと」

 

「私は(無意識に)こんなにやっているんだから感謝して当たり前。これに気付いてよ、もっと評価してよ」という私自身も感謝を求めることが当たり前になってしまいます。

もちろん相手も「好きでしている」と思っていたら、当たり前になることがむしろ自然。だって頼んでいないし、勝手に相手が自己犠牲しているだけなのです。

 

好きでしている=無条件に相手の何も期待なしで心から「したくて」している

この状態であれば相手がどうであれ、自分は穏やか・嬉しさ・喜びが身体に残ります。

感謝も自然に出てきますし、自然な感謝が自分の中にあること自体が非常に平和で安堵がありませんか?

 

自分を愛する「練習」をしていく

自分を優先する・愛することに疎い人、また罪悪感さえ感じる方もたくさんセッション通じて関わりを持っています。

これは長年の刷り込みで、簡単に「思考レベルで思いこむ」ことでは自分を動かしているコアなセルフイメージ・司令塔のようなものは変化しません。

まずは自分の仕組みを知り尽くします。どう言った思い込みで今の自分が出来上がっているのか・・・ここを掴み切りましょう。

そして「練習」ですが、

まず「自分を愛する=大切にする」ことに怖さがあれば絶対に難しい。

 

怖さのワークの意味

自分を愛したら、自分を優先したらどんな怖さがあるのかも、色々なバリエーションがあるので自分が「掴みます」

自分を愛することが自然と許可されてきます。

最初から自分を愛することがナチュラルな人

 

自分を愛するって自然にできる人はこの怖さがもともと少ない人。

ダメな自分でも、できない自分でも、どれだけ怒られたりしても・・・「大丈夫感」「どこかで掴んでいる安心感」がある人はこれが簡単に自然にできるのです。

 

人と比べてもこれは無意味。

 

まずは「自分がどう言った構造」で作られているかを知り、自分が持っていた「怖さ・不安」を薄くしてあげれば・・

そこに自然に自分を愛する私が生まれ、この私は自分を愛することができるところまで無条件で相手を愛せます。

全く努力や頑張りは必要なくナチュラルに湧き上がるため、自由で軽いです。

相手が感謝がなくても、当たり前な態度でも「自分が自分を認めて・支持しているところまで(愛しているところまで)」全然許せちゃいます。

不思議ですが実感です。

誰かを愛することの方がずっと難しいと思っていましたが、実は自分を愛することはこんなに幾つものハードルがあったんだと・・・

今すぐに自分を愛せなくても大丈夫。

自分を愛せなくて苦しかった自分をまずはここで深いレベルでhugしながら今までの苦労してきた私の軌跡を一緒に理解してあげましょう。

素敵なスタートです♡

※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています。

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