なかなかラクにならないメカニズム

【なかなかラクにならないメカニズム117】隠されていた愛に気付く②

皆さまこんにちは♩

人間関係、家族などとの関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など、ドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方のお悩みを聞く側に自然に変化した心理セラピストの浦松ますみです。

今日はまたとても書きたくなった「隠されていた愛に気付く時」をある例を使いながらお伝えしていきたいなと思います。

私たちが苦しい時・・不安な時は本当に多くのケースで「そこに愛があったのに、気付くことができていない時」でもあるなぁと実感・・

自分の中にある「本当はここにあるのに見えなくなってしまった愛」を見つけるジャーニーのヒントになれば・・と思います。

「嫌われたら見捨てられる」

例えば、かなり多くのクライアントさんや過去の私の中にもあった「相手から嫌われたら見捨てられる」とか「自分の周りから人が去る(孤独になる)」などは、いろいろなケースを含め、自分の中にも濃いか薄いかはそれぞれですが

こういったビリーフはいろいろな形で出てきます。

ある方は両親が仲が悪く、新しく家を建てた頃から特に言い争いが絶えず、共働きですが、常にお金のことで揉めていました。

父親も母親も無理して購入した家のせいでお互いのお金の使い方や家にお金を入れる金額などで相手を常に警戒し、結局は母親が家を出てしまいます・・

まだ中学生だったクライアントさんは、母親がわりに家事をして、どうにか毎日を過ごすのですが、追い打ちをかけるように母が再婚し、そこで新しく子供を産むという形を知ります・・

父に家を出された形の母でしたが、今度は自分が母親から捨てられた気持ちを持ってしまいました。

私にとっての母とは?

父親も母親も・・自分にとっては優しい面を感じたり、愛情を感じていたので、どちらかの味方になりきること自体が身を引き裂かれる感じでしたが、母親が新しい家庭を作ったことを知ったことがきっかけで

「捨てられた感」があったので、こちらからも連絡はとっていませんでした。でも最近になって母が離婚し、その上重い病気にかかり、余命もあまりない事を親戚から聞きました。

初めは不幸になっても仕方がない、私たちを見捨てたんだから・・など頭の声で納得させようとしましたが、実は良く心の声を紐解くと「母の不幸な孤独な姿を見たくない」

そんな声が出てきました・・また、母が今、誰からもコンタクトをとっていない状態らしいのですが、自分から母親に連絡を取ることも、どうなっているのかを知ることも怖すぎて月日だけが流れていきます・・

母に捨てられたはずが、自分の心の中では「母を助けない罪悪感」で自分を責めていたため、どうしていいか、この問題には蓋をしてしまっている状態でした。そして、お母さんの終焉も近づいていました。

「罪悪感」のもう一つの意味は?

良くあるのが、顕在意識(思考上での答え探し)では「◯◯だからこうなっても仕方がない」とか、「△△だから、向こうから私の気持ちを知って欲しい」など

なんとなく着地点を作るのですが、モヤモヤがある時や、今回のようにどうしても罪悪感が無くならなくて苦しいなどという時に、ここに何が隠されているかを探します。

コツは「体を良く感じながら、身体の声」を感じるイメージです。

問いかけの一つの例

ずっと自分から無くなったことがない「罪悪感」という感情=エモーション=エネルギーが、もし、全てきれいに自分の身体から無くなったら・・?

一切、お母さんがどんな姿でも罪悪感がない自分はどんな自分?と静かに身体に聞いてみると?どうでしょうか・・?

ここは人それぞれですし、そのテーマによって全員が違いますが、今回見えてきたのは罪悪感が全く出てこない私は、母親を完全に見捨てた冷たい愛情のない私になる・・という意味でした。

言い換えると、どんなに色々な恨みや怒りや捨てられたと感じた時の悲しみがあっても、母親を見捨てる自分になりたくない・・と身体が教えてくれた声でした。

そうなんです・・罪悪感を持つことが、この方にとっての母親への愛の形。

この方特有の愛の現れ

側にいて、連絡を取れなくても、実際に会いに行くことができなくても・・罪悪感を持つことで遠くから離れていても見捨てていない証としてずっと必要な感情でした。

目に見えない、理解しにくい愛に気づく

自分の中にある「愛」の定義はそれぞれですが、自分の思っても見なかった「愛」に気づく時、苦しみの呪縛が解け、そこにずっとあったものに気づくことができます。

例えば「愛しているなら、そばにいてくれるはず」とか「大切なら、一人にしないはず」「行動するはず」など、自分の中での絶対があると思います。

でも、たくさんのセッションなどの中で見えてくるのは「愛があるから」別れる・・「愛があるから」怒る・・など、思考レベルでは追いつかない、理解できない「愛」も本当に沢山見えてきて、その感情が持っている「自分特有の意味づけ」を見つけるたびに

生きることはいろいろな愛を経験することでもあるなぁとしみじみ・・

愛と憎しみは表裏一体などという言葉もまさにその通り。愛があるから怒るし、憎しみを持つし、どうでもいい人であれば、怒りや憎しみまでいきません。

大切な人だからこその感情の意味、中身を知ることで、もう一つの世界を知った時、「自分を責めるジャーニー・痛み」も終わりを迎えるでしょう・・

※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。

あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。

提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)

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