皆さまこんにちは♩
人間関係、家族との関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方とセッションをするまで変化した心理セラピストの浦松ますみです。
今日はセッションでかなりの割合でお聞きするテーマの一つ・・
「人の顔色を伺ってしまう」
この「人の顔色を伺う」という一つの「症状」が同じであっても、それをする理由や、意味づけは人それぞれ。顔色を伺うこと=先読みすることで、相手の機嫌を損ねないようにずっと緊張していても上手くいかなかったり、それでも誤解されたと感じたり、仲間に入れなかったり・・
そうなれば、生きていくことは疲弊でしかありませんし、「自分を持つ」ことも、「自信」など感じることもままならないでしょう・・
今日はここを探っていきましょう。
相手の顔色は自分にとって何を意味している?
私たちは、実はあまり意識していなかったかも知れませんが、必ず何かの「行動」「感情」が出てくる訳は、その出来事や状況に対して「意味を付けている」から。
例えば・・
①相手が不機嫌で、自分といる時に楽しそうにしていない。
行動:ご機嫌を取ろうとする。色々察知して、いくつも先読みする。
感情:焦り、不安、怖い感じ
このケースの場合、どんな意味を①に対して持っているかを探っていきます。
例えば、小さい時から父親が機嫌が悪いと、家の中が凍った空気になり、時々暴れたり、大声で暴言を吐いたり、母もそんな父を持て余し、二階へ上がれと、子供たちを避難させた。
また、こう言ったことの後には頼み事を言っても「そんなの出来る訳ない」「なんで親を困らせるんだ」など言われるため、行きたい塾、買いたいものなどある時には決してこのタイミングはダメだ・・と何度も絶望感を味わったことがある。
などなど・・
こんな経験や実際のシーンを何十年経っても思い出すことができる場合、大人の私に何が起こっているのでしょうか?
反応が必要なくなる=意味づけの癒し
私たちは困ったことや苦しいことがあれば、まず最初に「どうしたらいいか?」に意識が向きますよね。
私も実際に以前、ブログでお話しした「歯医者が怖い」経験のシェアで
治療の予約が出来なくなり、被せ物が取れたまま、穴が深く開きっぱなしだったので困って、困って「どうしたら怖くなくなるだろう・・」と恐怖をとる方向に意識が向いてしまいました。
でも、直ぐに思い出し「歯医者での怖い反応がなぜ出るのか」の意味づけに着目し、ここの癒しをすることで、今は「大好き」ではないですが、通えていますし、震えや緊張もだいぶ低くなっています。
もちろん、通いたい場所ではないですが、治療自体は順調に進んでいます。
※嫌なもの、苦手なものは嫌でもOK.治療に通えることができることで充分ですよね。逆に、「全く平気にならなきゃ」と感じている時ほど、よっぽど大きな怖さがある自分がいる証です。
【私のケースの場合】
意味づけは、治療台=動けない、自由が効かない=(過去生での)斬首される時の動けない恐怖の極みがなぜかここにくっついていました。事実は歯医者に通い、優しい先生に治療台の上で会話している風景なのに
今から斬首をする死刑囚のように身体が震えて、絶対にここから逃げられないという風景に心の中ではなっていたのでした→だから身体が震えが止まらない。治療台から逃げたくなる。歯医者は斬首されに行くことと言う意味に変換されていた訳です。
ここの意味づけが解除されることで(セラピーなどで感情をリリースしたり、その時の私=死刑囚と何度も対話しています)随分、変化しました。重度の根管治療は順調です。
ご自分のケースでの【自分特有の意味づけ】を探すことは本当に大切なポイントです。
苦し過ぎる時には意味づけがうまく探せない
これも非常に多いケースですが、ブログを読んでくださったり、もちろん、何かの学びで自分なりに「これが私の意味づけです」とセッションの時にシェアしてくださるのですが
実はその折角自分では「これが深い意味づけ」と見つけたつもりのものが、苦しい自分が苦しさの中で探した物なので
苦しい投影の中で客観視出来ていない状態で探したもの=【反応の部分】が意味づけになっているケースが多いです。
探すのは「反応の部分」ではなく「その状況・状態」「出来事」などに対しての意味づけ。ここがうまくなるほど、自己ワークも外しが減ってきます。ピンポイントで「これだったんだ」と下の潜在意識にちゃんと繋がっているものが探せるようになります。顕在意識でのぐるぐる樹海のような所から、潜在意識に降りていけます。
①の例えですが「相手の不機嫌」に対しての意味が
*見捨てられて、要らないと言われる(恐怖)
*自分の未来の希望が真っ暗になる(絶望感)
*(単純に小さい自分だったら)ご飯を食べさせてもらえない(死の恐怖)
*居場所を失い、行く宛もない(不安・怖さ)
などなど・・・自分では何も出来ない無力で怖くて恐怖で震えている自分を意味しているかもしれません。
どちらにせよ・・お気づきだと思いますが
肉体のサバイバルが絶たれる、精神的なサバイバルが絶たれると言う「死への恐怖」に関わってきているため、絶対に反応してしまいますし、反射的にそれが起こってしまいます。
被害者であり、弱い小さな自分を救おう
大抵がそこにいる自分は被害者(されてしまう自分)、一人ではどうにも出来ない自分、誰にも助けてもらえない孤独な自分、力のない自分がいるでしょう・・・
当たり前ですが、もし、自分でどうにか出来る自信や希望があり、誰かが助けてくれる、大丈夫と感じていたら、「ご機嫌を取る」「顔色を伺う」必要がそこまでないのです。
もちろん、気まずいより楽しい時間を過ごしたければ、気を遣うこともあるでしょうが、その気を遣う衝動の根源が「危険の回避」からではなく「一緒に楽しみたいな」と言う物なので
それによって相手がそのまま不機嫌でも、ニコニコに戻ってもどちらも引きずるほどの影響は受けなくて済みます。
相手の悪い機嫌を戻さないと生きていけない・・・と言う自分が存在する限り、どうしても相手に影響を受け続ける私が残ってしまいます。(自分の安心が相手次第)
トラウマであれば、時間や回数をかけてあげよう
セッションにまでくる方はほぼ、トラウマが関わっているケースが多いのですが、実際にトラウマになぜなるか・・といえば
「無力で、自分ではどうすることもできなくて、誰も助けてくれない」と言う究極の孤独・恐怖が身体のどこかに残ったままの状態だから。同時に、脳の回路と自律神経が巻き込まれているから。
そう言った似たようなケースだと脳が判断したら、自律神経が自動的に生き残るための「逃げるか戦うか」「フリーズして解離」か・・または「媚びへつらってその場を生き延びる」など色々な状態=症状を作り出します。
全てが命をかけた行動であるので=生き残りのためのサバイバルとも言えます。
ここには沢山のアスペクト(それを作り出している要因)があるので、実は一つのトラウマに対しても複数回のセラピーをすることもよくあります。(ほぼ、最低数回しています)
私の歯医者さんの恐怖も単発では到底カバーしきれない凍りついた感情や死刑囚の状態でしたし、これは今も必要な時にはケアしています。
どれだけ脳と自律神経が巻き込まれているトラウマだとしても、回復への可能性は実際に経験上あります。
大事なのは・・・
相当な抱えきれないような感情を本当は持っているらしい自分を、どんな風に気づいてあげたり、守ってあげたりしたい気持ちが今の自分にあるか・・を、じっくり感じてみるだけでも
何かしらのケアにつながっていくと思います。(本格的なトラウマケアはプロに任せることをお勧めします)
皆さん、山あり谷あり・・・ぐんと進むこともあれば、急に怖くなってやめたくなったり・・休憩を挟みながら、色々経験しながら、本当の意味で回復されていくケースが多いです。
特に、トラウマに関しては、最初は信頼できる誰かと繋がることは非常に大切だと思います。
※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。
あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。
提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)
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