なかなかラクにならないメカニズム

【なかなかラクにならないメカニズム81】世界が灰色になる時

皆さまこんにちは♩

家族、人間関係などで生きることが辛く、依存症・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方とセッションをする側に自然に変化した心理セラピストの浦松ますみです。

今日はきっと一度や二度、どこかで経験したことがあるであろう、世界が灰色になった時や、世界から色が抜けてモノクロに感じたり、全てから切り離されて自分だけが孤独で誰からも気にしてもらえていないような感覚・・

虚無になっているときはどんな状態を表しているかを一緒に見ていきませんか?

歓びを忘れている=虚無

自我ってどんなもの?

私たち、通常は自我というものがあり、その自我は常にこの私を良い人に、何かの為になるように、成長できるように・・など、サバイバルに勝つために色々考えて働いてくれています。

生きる意味や、生きがい、人生の目的などを求め、それが充分に満たされて充実していれば、安心し、この人生が「良いもの」「意味があるもの」「損得で言えば得、徳」などの意味をのせて、緩むことができるでしょう・・

意味のない、生きがいのない=それが満たされる、達成されることを喜びにしている時にはここで一喜一憂し、他者と比べたり、過去の自分と比べて常に考えて、今の自分で良いか、ダメかを検討し続けています。

それが証拠で「何も考えないバカンス」「ただぼ〜〜っとする時間」が特別なご褒美感があるとしたら、逆にいかにこの時間を自分に与えていないかという話。

常にこんな状態を切り離されて活動しているのが通常です。

まずは、ここにジャッジ(良い、悪い、正しい、間違っている)は一切付けず、こう言った仕組みがあることを知っておきます。

ピュアな歓びとは?

では自我のサバイバル活動ではなく、純粋に「それがある」「それが起こる」感覚とはどんな感じでしょう・・

例えば、赤ちゃんが笑う時。

赤ちゃんは誰かを喜ばせて、相手のご機嫌を取るため、自分の感謝のため、〜〜するべきで笑っているというよりは(もしかしたら、赤ちゃんも月齢が進み、周りの様子が伺えて、自我が発達してきたらこれもあるでしょう)純粋にそれが起きて、「笑う」という症状になっている・・

また、誰にも普段は見つからない場所にひっそりと咲いている花は、人間界では貴重な幻の花だったとしても、花自身はそれをわかって咲いているというよりは、「ただ生命の動きの一環」としてそこにあるだけ。

その瞬間がその存在そのもので、それ以上に意味づけはなく、ただある・・・こんなに自我にとってつまらなく、ストーリー性もなく、良くもならなそうだし、得もしないようなことは、惹かれませんし、積極的にこうなろうという魅力もないでしょう・・

自我には魅力がないピュアな喜び?

ピュアな喜びとは、きっと自我にとって何の得にもならないものなのかもしれませんが、実はピュア=そこに自我の「計りごとが必要でない喜び」こそ、真の安堵、無条件の、何も頑張る必要のない世界があります。

私が(自我が)頑張らなくて良い・・このぐらいに、自我活動から抜ける時間こそ、無条件の安心がある世界があるでしょうか・・・?(でも自我は落ち着かないはず)

ハートからの行動、衝動とは?

テレビ、ニュースなどで、野生動物が人間たちに救出されて、無事に森に戻っていく姿や、逆に動物園でずっと世話をしていた飼育員の方々が、その動物の最後を看取るシーン・・

前に、象の赤ちゃんがぬかるみから出られずに何度もチャレンジしても自力ではどうにもならず衰弱しているシーンがありました。何かでこの姿を見つけた人々が、ありとあらゆる知恵と、現代の技術を使い、数時間後にやっとぬかるみから助けることができました。

この時に、赤ちゃん象は全く助けてくれた人間たちにお礼も言わないし、生命の赴くまま、本能で森に向かっていくだけなのですが、それを見ている人々たちが本当に嬉しそうで、中には涙ぐんで象を見守っている人もいました。

ここで起きていたことは無条件で助けたい、どうにか森に戻してあげたい・・ただそれだけ。それしかそこにいる人々の中にはなく、善悪や、損得などない世界・・

そこにいる時の自分はきっと最高に「存在がフル活動し、生命として美しく」無条件の歓びの純粋さと、そこに一切の自我活動の目的がないことの軽やかさと安堵を感じます。

本当はどこかで純粋な喜びを知っている私たち

いつの間にか、何にも考えずに笑っていた赤ちゃんから、色々頭で焦げそうなほど周りを気にして、常に考えて、どうしたらいい?どうすれば正しいの?これは嫌われない?これは愛される?

自分を幸せにする、成長させる、より良く改善させることも、もちろん素晴らしいのですが、これが目的になった瞬間に「得られたら」良いのですが、「得られない」と途端に自分をジャッジしたり、焦ったり、落ち込んだり、極端な例では虚無を感じたり・・

私自身も、気付けばほとんどが自我活動の中にいて、「これを今のうちに終えておこう」「こうしておかないと〜〜になる」「この方が便利かも」など

赤ちゃんのピュアな笑顔とはかなり距離がある活動の中にいます。が・・同時にそれに気づきやすくなっています。

「純粋な素の歓び」にも繋がっていきたいですし、繋がっていないと感じる瞬間も同時に気付きやすくなっていて、何の得(徳)もない瞬間も尊いと感じています。

この前などは、東京にいる時と全く同じシーツを、ただ移住後の地方の住まいのベランダで干していた時に、シーツをかけた時の目に入ってきた空の広さ・・・青空の大きさ、青さ・・そこに雲がほんの少しあり、息が深く吸えて・・「無常の喜び」を感じました。

自我的にはもしかしたら、時間の無駄かもしれません・・笑

幸せって、自我が安心する時にも感じますが、この何の得もない青空に幸福感を感じることとの差を改めて気づき、ハートの純粋な喜びと、自我の歓び、両方を沢山気づいてあげ続けていきたいと・・・

※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。

あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。

提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)

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