なかなかラクにならないメカニズム

【なかなかラクにならないメカニズム97】投影(マイストーリー)を生きるとは?

皆さまこんにちは♩

人間関係、家族などとの関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など、ドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方のお悩みを聞く側に自然に変化した心理セラピストの浦松ますみです。(生きづらさはきっと30年以上でした)

今日は投影=自分がそれをどう解釈しているか=自分特有の大切なストーリーについて、ここに理解があるだけで癒しに大きく繋がりやすいため、何度でもお伝えしていきますね。

私の大切なストーリーとは?

色々な言葉で表せるのですが、まずは「自分が自分をどんな自分だと感じているか」とか、出来事や、そこに登場する相手に対して「どんな人、どんな状況、どんな世の中」などと感じているか・・

そして、そこで周りと比べて自分はうまくやって行けているか、そこそこ足並み揃えた場所にいるかどうか、また劣っていないか・・などなど・・

またどうして劣っていると良くない、まずい感じがするかと言えば、「生き残り」が自我にとっては最大の大切なミッションなので、ここに意識が向くシステム自体は「自我共通の(人類共通の)仕組み」とも言えます。

ここで自分の力で生き残れた、優位に立てたなどがあれば、その過程では苦しくとも、自分のストーリーはとても安心な力を持っているサクセスストーリーの味付けになってきますし、ここで誰かに助けて欲しかった、とても分かって欲しかったのに、責められた、怒られた、居場所を失った、見捨てられたなど・・あれば

この私のストーリーは悲しく、悲惨で、絶望のストーリーとなります。

どちらよりのストーリーをたくさん持っている私でしょうか?

投影を生きていると、現実とは辻褄が合わない

例えば、実際には仕事も期限を守るし、対応できる範囲もそれなりなのに、同僚や上司、部下などに褒められても「いやいやいや・・・」と謙遜したり、褒められることを受け取れないとか

合コンや、友達などから「綺麗だね」「本当にスタイルいいね」「モテるでしょう」と言われても、実際に相手から優しくされて、好意を寄せられても、言葉でも伝えてもらっても「今だけだ」「何を狙っているの?」「少しでも太ったら陰で何か言われる」「私なんかそもそもヘン」「可愛いわけない、綺麗なわけない」などなど・・・

こういったことはなぜ起きるのでしょうか・・・?

逆もあると思います。

例えば仕事の期限は遅れても、部屋は散らかっていても・・鏡に映った自分をイケている、美しい、よく頑張っている、偉いね私・・と心から思う人もいます。

要するに「自分が決めている」のです。言い換えれば「自分のストーリー通りに反応している」だけなのです。

ストーリーの作られ方

これは余りにもたくさんのケースがあり過ぎるのですが、実際に人生の経験がどんな出来事が起きていたか、その時に自分がどんな状態でその出来事を身体を通じて感じていたか、そして、そこで最終的には安心・安全を感じる事ができていたか・・など

同じ兄妹、同じ職場、同じ学校・・でも感じ方や捉え方が違うのは、すでにその時点で「それぞれの私のストーリー」が個別で反応しているので、経験そのもの、起きた出来事そのものであるとは断言できないのです。

トラウマは別

トラウマの場合は「その出来事に対して、どうすることもできなかった私」がいるため、(完全に、それに関しては無力、弱い私がいる状態)別として考えていきます。

兄妹が優秀な人に囲まれて育ったクライアントさんなどは、その方自身も世間的には良いとされる学校や職業についていても、「私は一番出来ないみそっかす」とか「親類の恥」など、親や兄妹からは貶されたり、咎められたりした事がなくても

自分の中では惨めな人生、いつも安心していられる居場所がない私として、このストーリーを強固に作り続けてしまいます。

さて・・私のストーリーはどのエネルギーが強めでしょうか?また何色一色の世界観でしょうか?

だからこそ「どうするか?」から「どんな私」になりたいか

私のストーリーが、無力で、劣っていて、誰も助けてくれなくて、頑張って成果を出した時だけ仲間として受け入れられる、認めてもらえる・・だとしたら

このストーリーを持ったまま「どうしたらいいか?」という行動を変える練習を一生懸命しても、結局、行動をしている私はそのまま「変わらない」ため

抑圧して頑張り続け、上手く行った時だけホッとしたり、自分は出来ていると仮の安心で常に周りを気にしていくしかないのです。

「どんな私か?」とはどんなストーリー(どんな世界観・解釈)で生きているかという意味なので、ストーリーが軽やかで、自分に優しければ優しいほど、目の前の人や、起きた出来事に対しての自分の反応は格段に軽くなります。

この私↑であれば、ここで初めて「どうする?」「どうありたい?」もクリアーに見えてくるでしょう。

苦しい時にハートの声が見えにくい訳

苦しい時に「どうありたいか」と自分に問うても、「苦しい自分から解釈したラク」だったり「大丈夫になること」が大事な要素になり、本当の意味での「どうありたい?」とは違った声が拾える可能性が大きいでしょう・・・(影響を受けない私とか、大丈夫な私になろうとしていく傾向が大きいです)もちろん、これが悪い、ダメという意味ではありません

人生に否定がどのぐらいあるか?

何度も書いていますが、「何が起きたか」「どんな状況だったか」「周りの人たちや自分がどうだったか」という事より、それを自分がどのぐらい嫌っているか、憎んでいるか、絶望しているか、怖いと思っているか・・

否定とは色々な声で現れてきますので、自分の中の「否定=抵抗=良くない=嫌い」的な要素をまずは見つけて拾い出していきます。

「それって超悲惨な出来事」と世間で思っていても、本人が「割と大丈夫」と感じていたり、それを乗り越えて克服できた自信になっていたら「否定系・抑圧系」としては残りにくいのです。

逆も然りで、「そこまで酷くない」と周りが思っても、本人が非常にそれを恨んでいたり、怖いと思えば、そこには否定系のエネルギーで自分に刷り込んでいくでしょう。結果的にうまく乗り越えていても「もう2度と対応できない」など無力系の感覚を刷り込んでしまうでしょう・・

私の中にある「ダメ」と思っているものも書き出してみましょう。

私という存在の構成要素は並べて書き出したものを「眺めると」どんな存在でどんな反応をする人か見えてきませんか?

癒しの素敵な側面

私が私という存在を知るほど、理解して分かってあげるほど=自分に深く共感して寄り添うほど、癒しであり、自分への愛であり、本質の愛へ近づいているでしょう・・♡

 

※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。

あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。

提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)

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