なかなかラクにならないメカニズム

【なかなかラクにならないメカニズム⑩】誰かのせいストーリーから自由になる

みなさまこんにちは♩

人間関係、家族との関係で生きることが辛く、依存症・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方とセッションをするまで変化した心理セラピストの浦松ますみです。

今日は

「誰かのせい」にしている世界から自由になる方法をお伝えしていきたいと思います。

 

苦しいときには心のどこかにハッキリと・・またはうっすらと「あの人のせい」という悪者がいないでしょうか?

誰かが悪い=自分は被害者=弱い自分、力のない自分

このストーリーから自由になりませんか?

 

嫌われたくない私がいる場合

大抵の方が持っている感覚として「人に嫌われたくない」「受け入れられたい」「上手く人間関係を保ちたい」「必要とされたい」・・

上記のような感覚は多かれ少なかれあると思うのですが

これらが強すぎる場合は次第に「他者のニーズを満たさなきゃ」「気を遣って先に空気を読まなければ」「私の発言はどう取られているだろう・・・」などなど・・

相手の気持ちがどうか?が最も大切な事にいつの間にかなっていて「カチカチの私」が職場や、グループの中にいないでしょうか?

 

クライアントさんの中には

●「気を抜いていることを演出して」かっちりをカバーしてみたり

●常に対応できている私自身が「ゲームに勝っている=できる私」にすり替わっていることもあります。

 

常に負けるわけにはいかないゲームですので、これも最終的には相手のためというよりは深いレベルでは「自分自身を守るため」の行動ではあるのですが

嘘のようなホントの話

いつの間にか「他者が何を要求しているのかを応えること」が安心につながっていたりします。

不機嫌な人が出てきたら「私のせい」

これも度合いによりますが

 

自分を守る必要が大きければ大きいほど=弱い自分であり

対応できない自分は顕在意識では「ゲームに勝てている私」のつもりでも実は

力のない私を強化】しています。

 

実際には不機嫌で怒っている人を見ると、ついおべっかを使ったり、機嫌を取ろうとしたり、なだめたり・・・

この時には相手が相当力がある人に見えていればいるほど、おびえながらおべっかを使ったり、機嫌を取ろうとするために怖いので自分のしていることさえ、良く分からないほど。

でも、次第に疲れがたまってきたり、相手が「当たり前」の存在としてサンドバック代わりに自分をつかうようになると、「不機嫌をいい加減にして!」と許せなくなってきます。

もし、相手も心の傷が大きな人だったりすると「あなたに非がある」かのように言い負かされてしまって、自分で自分のことを「傲慢だった」「私がいけなかったんだ」とさえ感じるようになるかもしれません・・

場合によっては自分より弱いと感じる人に対して、攻撃的に怒りのエネルギーをぶつけることもあり得るでしょう(もちろん無自覚で、『自分は一切間違っていないと感じる必要』もあります)

 

自分が禁じているのは誰の姿?

時々(結構)お聞きするのは、自分の中に本当は怒りや腹ただしさがあっても「外に出すのが苦手」という方が多いことです。

私自身も実は「怒り」を出すことは得意ではなく、大きな声で怒鳴ったり、何かを壊してもすっきりしないばかりか、余計に「怪獣のようになってしまった自分」を恥ずかしく思ったり、みっともないとか、大人なのに・・と罪悪感を作ってしまいます。

自分でクールに対処する方が社会的にも良いとされているように勝手に感じたり、また、感情をそのまま出す人を見て「あぁなりたくない」と思う方もそれなりにいらっしゃいます。

現れの例として

自分の母親がヒステリックに父親とけんかしている姿だったり、気が狂ったかのように暴れる近しい人の姿を見て、「ぜったいにあぁなりたくない」

そんな風に「あの姿」になることを怖いと深いレベルで感じている方も多いです。

また一回自分に解除してしまったら、自分自身に歯止めが利かなくなりそうで怖いという方もいらっしゃいます。

 

自分を精神的にも殺さないで

小さなわだかまりはどんどんこじれますし、一つ一つは羽毛1枚ぐらいのことだったとしても、それが何十回、何年も続けば立派な羽毛布団が出来ます。

いくら自分の中にイライラなどの感情があっても「自分が悪いかも」「間違っているかも」または「どうせ聞いてもらえない」「言い負かされてしまう」と思っていると

最終的には「相手が正しい」になってしまい、自分は「被害者」となっています。

 

このパターンになりやすい例

被害者が楽になる唯一の道が「あのひとのせい」「あの人さえ変われば」という相手のせいにするストーリーを作ることなのです。ここでやっと「自分が悪くない」が確立されます

相手のせい=被害者の私(弱い私)から抜け出せない仕組み

一見、相手のせいに出来ていると自分が悪くなくて、落ち着くのですが

心のメカニズム的には永遠に被害者のままなのです。

一番伝えたいこと

実はここが難しいかもしれませんが「力のある私」「対処できる私」「フェアでお互いを尊重する私」「自由を認め合う私」として→

「相手にYes/No」を伝えることは全く違うのです。

私たちはすぐにどうするの?と行動をどうするかに意識が向いていますが、どうするかではなく、「どんな私が何をしているか」が最も大事なポイントです。

伝える、伝えない、怒る、怒らないでなはく、「どんな私がそれをしているの?」ここに尽きます。

被害者の私が「しても」「しなくても」【被害者の目線で行動しているだけなので苦しいままなのです。】

フェアで力のある自由な私が「出来なくても」それはそれで何か他の方法を考えたり、相手を攻撃して自分が勝つという目線ではないため、きっとお互いにWin-Winな提案など出来るでしょう。

そして安定感のある私、安心安全がある私であれば「勝ち負け」「損得」ではない目線でそもそも状況や感情や状態を眺めているので、気持ちの良い関係が気づけます。

そこには優しさや思いやりや感謝があり、こじれたように感じた始まりが、より深い親密さや信頼関係さえ生まれることもあるでしょう。

※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。

あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。

提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)

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